2013.06.15更新
5月に行われた「カンヌ国際映画祭」に数年前から「アトリエ」という部門が新設されました。
企画段階のシナリオを約15本選び、その監督やプロデューサーをカンヌに招待し、映画祭の期間中に様々な出会いを用意して映画制作のための最高のチャンスを提供する。つまり若手監督の支援です。
ちなみに、企画段階のシナリオは世界中に何万本とあります。世界的に有名な映画祭でその中の15本に選ばれるとはどういうことか、もうお分かりでしょう。
今年のアトリエに招待された監督の1人はニューヨーク在住の日本人男性でした。二十歳そこそこで渡米してから四半世紀以上、寝ても覚めても映画のことばかり考えて奔走した彼は、大金が動くシビアな映画業界の仕組みに何度も煮え湯を飲まされました。
元々役者だった彼は、あの唐沢寿明さんと同期です。お互いに売れなかった時代、夢を叶えるためには端役でも何でもやった唐沢さんが大物俳優と呼ばれるようになったとき、まだ何者でもなかった彼は改めて腹をくくったそうです。
命を賭けている映画を生活の糧にしたくない。だから自分の作品を世に出して、映画監督として認められるまでは絶対に死ねない。アトリエに選ばれたシナリオは、彼が15年前に書いたものでした。
何十人ものプロデューサーにプレゼンしても結局話がまとまらず、こうなったら全財産を突っ込んで自己資金で作ろうと撮影に踏み切ったのが昨年のこと。
その後、編集作業に追われていたときに届いた朗報が「カンヌご招待」だったのです。これを機に彼の映画人生は大きく変化していくでしょう。
成功者に成功した理由を尋ねると、多くの人が同じことを言います。
「成功するまでやめなかったから」
本当に成し遂げたいなら成し遂げるまで続けることです。毎日毎日そのことを真剣に考えて、今できることをやってみる。これは物事の大小によりません。
できるまでやる。挫折してもやり続ける。だからこそ信念が問われるのでしょう。
投稿者: 伯税務会計事務所
2013.05.20更新
投稿者: 伯税務会計事務所
2013.05.15更新
「為せば成る 為さねば成らぬ何事も」で知られた米沢藩主の名君、上杉鷹山(ようざん)は、人を動かす方法を「してみせて、言ってきかせて、させてみよ」と説きました。
これをもとにしたと言われるのが山本五十六元帥の名言、「やってみせ、言って聞かせて、させてみせ、ほめてやらねば、人は動かじ」です。
教育者としても知られ、人望に厚く部下にやる気を出させることが非常に上手かった山本五十六は、模範を示し、指導して、実際にやらせる上杉鷹山流のやり方に「ほめる」を加え、理論ばかりでは人は動かないことを暗にほのめかしたのでしょう。
人の心が動くのは感情が刺激されたとき。まずは心が動かなければ人は動きません。
「ほめて伸ばす」は人育ての定説です。最近では人のほめ方を学ぶ「ほめる研修」を導入する企業もあるようです。
しかし、人をほめることは意外と難しく、「どんな言葉をかけたらいいのかわからない」という声をよく聞きますが、ほめ方で最も大事なのは「ほめ言葉」より「何をほめるか」でしょう。
かつて、ニューヨークの小学校で興味深い実験が行われました。小学4年生に簡単なパズル課題を与え、課題終了後に生徒をほめました。
そのとき、「頭がいいんだね」などと結果をほめられた生徒は、続く実験で自尊心を守るためにチャレンジを避け、最終的に成績がダウンしてしまいました。片や「よく頑張ったね」などと努力をほめられた生徒は、続く実験で実力以上の課題にチャレンジして成績を伸ばしていきました。
つまり、「結果」をほめると失敗を恐れるようになり、「努力」をほめると困難に直面してもくじけなくなる。
あくまでも可能性の話ですが、ほめるポイントによって及ぼす影響が変わってくる点は見逃せません。
ビル・ゲイツ氏は、部下が大失敗しても全力を尽くしたならば怒らなかったそうです。
結果より努力を認めてほめる。ほめて心が動いたら、社員や部下たちは自らの意思で次のステップへと歩み始めるのでしょう。
投稿者: 伯税務会計事務所
2013.04.15更新
今では社長となったAさんは、新入社員を迎えるシーズンになるとサラリーマン時代に経験したある出来事を思い出し、襟を正すそうです。
それは社会人一年生になった年のことでした。商談の帰り道にいきなり先輩か
ら怒られたAさんは慌てて記憶をたどりましたが、商談中にミスをした覚えはありません。
「お客様がしゃべっているとき、君はまったくメモを取っていなかっただろ?」。先輩の指摘にAさんは「なんだそれか」とホッとしました。
確かにAさんはメモを取らなかったそうですが、それは記憶力に自信があったからです。
「私は一度聞いたことは忘れないのでご安心ください」。Aさんは得意の記憶力を駆使して商談から得た顧客の情報を先輩に披露しました。
我ながらの記憶力に、「ほら先輩、よく覚えているでしょ」と自慢したい気さえしていたそうです。
しかし、Aさんは大きな勘違いをしていたのです。「君の記憶力はたいしたものだ。自分で覚えているというなら、それはそれでいい。だがね、メモは自分のためにあるんじゃない。相手のためにメモを取る。
それが仕事といものだよ」。人の記憶力は大して当てになりません。
メモというのは忘れてしまうことを前提にした対策です。
それなのに大事な商談でメモを取らなければ、「この人、本当に大丈夫かな?」と相手は不安に思うでしょう。
自分が忘れないためにはもちろん、相手のためにもメモを取る。
それがたとえポーズでも、相手の話を真剣に聞いていることを伝えるためにメモを取る。
それが社会人としての第一歩だという先輩のアドバイスでAさんは、今ではメモ帳を持ち歩くようになったそうです。
30年も前のこの出来事は、「何のためにそれをするのか」という本質的な問いをいまだにAさんに投げかけます。
「自分のためだけなら商売にあらず。
利益最優先ならお客様のためならず」。今年もAさんが襟を正す時期がやってきました。
投稿者: 伯税務会計事務所
2013.03.15更新
人間もある程度成熟してくると「量より質」という考え方にシフトしていくようです。
焼き肉食べ放題よりA5ランクのお肉を少量。
人生を逆算する世代になれば人間関係も質重視で、本当に信頼できる仲間こそが財産と思うようになってきたりもします。しかし商売においては、「量」の追求がものを言う場面もあります。
例えばお客様と良い関係を築いていくには「質」の前に「量」、つまり接触の回数が重要ということです。といっても「数打ちゃ当たる」の「回数」ではありません。
人間の心理には「見ることは好きになること」という側面があり、好みや判断は「どれだけそれに接してきたか」で決まっていくそうです。接触回数が増えると人は無意識のうちに「差」を見るようになります。差を見ると選好度が上がっていくのが普通です。
だから、繰り返し見せられたCMの商品を手に取りがちになったり、テレビでよく見かけるタレントの好感度が高かったり、結婚相手がどことなく自分の両親に似ていたりといったことが起こるのです。こうした現象は、1人のお客様に対する接触回数を増やしていくことが信頼関係につながる可能性を示唆しています。
反りが合わないお客様を「苦手なタイプ」と大ざっぱにくくるのではなく、あえて会う回数を増やして細かく観察してみましょう。
その人のどこが苦手なのか。最初から苦手だったのか。途中から苦手になったなら、それ以前と何が変わったのか。どうすればその人に対する苦手意識が減るのか。
こうして「苦手意識」に差をつけていくと、だんだん嫌悪感が減っていくのが人間本来の特徴だそうです。
反対にお客様からのウケが良くない場合も、懲りずにちょくちょく顔を見せることで関係性が好転するかもしれません。お客様との関係をまずは「量」で稼いで、それなりに機が熟したところで今度は「質」で勝負する。
何もしない土地にいきなり種を蒔くよりも、地道に耕した畑に種を蒔いたほうが芽が出やすいことは言うまでもありませんね。
投稿者: 伯税務会計事務所
2013.02.15更新
物事の理由のなかで最大にして最高の理由は「好き」と「嫌い」でしょう。
どんな理由をいくつ並べても、「だって好きだから」あるいは「だって嫌いだから」以上の理由はなかなか見つかりません。
「好き」「嫌い」を決めるのは人間の本能的な部分なので、相手にそう告げられたら「そうですか・・・わかりました」と引き下がるしかほかになく、そこに反論の余地はまったくありません。
「好き」と「嫌い」はそのくらい強烈に個人的な理由であり、一種の最終勧告であり、だからこそ最大にして最高の「言い訳」にもなってしまいます。
例えば、釣りが趣味なら「釣り」を楽しめばいいでしょう。魚が釣れても釣れなくても、好きな釣りを思う存分楽しめば大満足です。
しかし、「魚を釣る」という仕事を与えられた場合には事情が一変します。魚を釣らなければならない以上、何がなんでも魚を釣る。このとき釣りが好きかどうかは一切関係ありません。
釣りが嫌いでも魚を釣る。道具がなければ自分で道具を用意して、釣れる場所を探してそこまで出向き、一生懸命に努力をして実際に魚を釣り上げなければなりません。
ところが、いざ商売で大きな問題に直面すると「好きなことだから」とか「嫌いなことまでして」などと自分自身に言い聞かせるようにしてその場から逃げてしまう。
このようなことは誰もが経験したのではないでしょうか。現実的に商売は、どんなことがあっても利益を確保しなくては長く続きませんし、苦手でも頭を下げる営業が必要な場合もあるでしょう。
自分にとっての「好き」「嫌い」は最大にして最高の「理由」だからといっても、商売を営む上では最大にして最高の「言い訳」になり
かねません。
目の前に大きな壁が立ちはだかったとき、「できない理由」は簡単に探せます。そうであるならば、きっと「できる理由」も見つけ出すことができるはずです。
自分に「言い訳」をしていないか?時にはそのような視点から商売を省みることも大切でしょう。そこには大きなヒントが隠れているかもしれません。
投稿者: 伯税務会計事務所
2013.01.15更新
新年は大きな区切りで、気持ちを改める良いタイミングです。しかし、「芸術は爆発だ」でおなじみだった岡本太郎さんは、「計画を実行したければ、元旦にスタートを置くなんていう手ぬるいものじゃなく、毎朝にスタートラインを引くべきだな」と言っていたようです。
毎朝をスタートラインにするくらいじゃないと、人間はすぐに慣れてしまうということでしょう。ちょっとでも気を緩めたら清々しい新年の気分は2~3週間もするとだらけてしまい、「今年こそ!」の意気込みも数ヶ月ほどで尻つぼみになってしまいます。仕事も人生も「慣れ」との戦いです。
熟成する「熟れ」は成長を意味しますが、「慣れ」てしまうとそこから先の伸びがありません。サービス業を営むある方が、仕事を始めて3年目に先輩経営者からこう言われたそうです。
「商売を始めて2、3年すると仕事に慣れてきて余裕ができる。すると誰でもお客様の文句や愚痴を言うようになるけれど、実はそこが分かれ目だよ」。
そのまま文句を言い続ける人は、「あの人が悪い」「景気が悪い」といつまでも何かのせいにします。だから商売もそこ止まり。
一方、一時は文句を言っても、そこで自分を省みて「自分もいけなかった」と気付く人は、それからお客様の文句や愚痴を言わなくなります。そんな人が商売で成功していく例をたくさん見てきた先輩経営者は、ちょうど仕事に慣れて文句が出始めたその方に「どっちの道を選ぶのか」と暗に促したようです。
同じことを長く続けていれば自然と慣れてしまいますが、そこはあえて自分にカツを入れたいものです。
文句や愚痴が多くなり、人のせいにするようになったら「慣れ」のサイン。何事も人のせいにしないで自分の問題として解決していく過程には、「熟れ」はあっても「慣れ」はありません。そのためにも毎朝をスタートラインにする意気込みで、今年も懸命にチャレンジしていきたいものですね。
投稿者: 伯税務会計事務所
2012.12.15更新
商売がうまくいっている人にその秘訣を聞くと、「秘訣は特にありません」といった答えが返ってくることがあります。
しかし、そのあと必ずと言っていいほど次のように続きます。「ただお客様を大事にしているだけです」。
目先の顧客を次々と狙い撃ち、仕事が済んだら「はい、さようなら」。そんな、「どうせ一度限り」と「心無い狩猟型の商売」をする会社が勢いを増した時代もありましたが、それはいつの時代も許されないやり方です。
やはり商売は心を込めた「農耕型」のスタイルでありたいものです。農業の場合、田畑を耕して種を蒔き、芽が出たら手をかけて育て、収穫のあとは次の収穫に備えて準備をします。
この手順は、商売にも当てはまるのではないでしょうか。営業して新規顧客を獲得し、お客様との信頼関係を築き、顧客フォローでリピーターを作っていく。
目先の収穫より収穫前後により手間をかける農耕型の商売は、顧客を大事にすることで次の仕事へと可能性が広がり、お客様が新たなお客様を呼ぶ好循環が生まれます。以前、あるところで印刷会社を経営するA社長のこんな話を聞いたことがあります。
A社長は時折、お茶菓子を持ってあるお年寄りのお宅を訪ねるそうです。90歳を超えたその家のおばあさんはA社長の訪問を心待ちにしており、しばらく一緒にお茶を飲んだあとでA社長が帰ると、すぐに息子に電話で報告するそうです。
県外に住んでいる息子は、そのA社長の会社の顧客です。彼の実家がたまたまA社長の会社の近くだったことから始まった、ひょんなご縁でした。
「Aさんがお菓子を持って訪ねてきてくれた。ありがたいことだ」と母親から報告を受けるとき、一人暮らしの親を心配しながらもなかなか実家に顔を出せない息子は、どれほどA社長に感謝することでしょう。
ひとつのご縁を大事に育てるA社長の顧客網は県外へと広がり、このご時世でも商売は順調とのことです。
以前、地元紙から商売の秘訣を取材されたA社長は、「お客様に喜んでもらえることを考えながら、お客様を大事にしてきただけです」と答えていたそうです。
投稿者: 伯税務会計事務所
2012.11.15更新
ある親子の会話を聞いて笑ってしまいました。
「もっと勉強しなさい」という母親の小言に小学生くらいの息子が「なんで勉強しなきゃいけないの?」とふて腐れると、一瞬言葉に詰まった母親が歯切れ悪く答えました。「なんでって・・・、それが知りたかったら勉強しなさい」。まるで禅問答です。
人の意欲を奪う最大の要因は「目的がわからないこと」ではないでしょうか。
ある国には、ひたすら穴を掘らせておいて、その穴をもう一度埋めさせるという刑罰があったそうです。何の目的もなく穴を「掘り」、そしてまた「埋める」を繰り返す。
そこには「刑罰」という目的はあっても、行為そのものが生み出す目的は何もありません。「何のために?」がわからないままひたすら同じことを続けるのが、どれほど苦痛でどれほど虚しいか。
この刑罰を考えた人はよほど人間心理に精通していたのだろうと想像します。「目的」とは、言い換えれば「問い」を立てることではないでしょうか。
あるラーメン店の店主に「毎日毎日ラーメンを作って飽きませんか?」とたずねると、彼はさらっと言いました。「ラーメンを作るのが仕事じ ゃなくて、接客が仕事ですから」。
つまり、ラーメンを作ることが日々の作業になってしまい、それを目的に仕事をしていたら飽きるだろうということです。
「お客様に喜んでもらいたい」。彼が商売をする目的はここにあり、「そのために何をするのか」という「問い」に向かって彼は日夜、仕事をしているのでしょう。
商売では、「何をしたらいいのか」「どうしたらうまくいくのか」と途方に暮れることがしばしばあります。
しかし、そんなときこそ「何をするか」の前に、まずは「何のために?」と自分に問い直してみたいですね。
大事な商売がいつの間にか苦痛な「刑罰」になってしまわないためにも、改めて「何のために?」と今一度「商売の目的」を考えてみたいものです。
投稿者: 伯税務会計事務所
2012.10.15更新
最近は料理を楽しむ男性が増えました。料理と仕事は通じているところがあり、「要領の良さ・悪さ」がはっきり表れます。
野菜を茹でながら肉を焼いて、料理が仕上がると同時に洗い物まで終わっている要領の良い人もいれば、一品作るだけで台所が地獄絵図のような有様になる人もいます。
これを仕事に置き換えれば「なるほど」と納得するでしょう。
要領が良い・悪いは性格や考え方にもよりますが、焦るあまりに緊張して要領が悪くなってしまうような場合には、誰にでもできる対処法があります。
それは、「とりあえず席を立つこと」です。
人間の脳には「ワーキングメモリ」という機能があります。一時的な記憶を覚えておく場所で、いくつかの知的作業を併行して行うときに活躍します。
ワーキングメモリの使い方が上手な人は一度に3つくらいの作業を併行できますが、野菜を茹でながら肉を焼ける要領の良い人でも、横で奥さんが「実はね・・・」と深刻な話を始めたらたまりません。
急激なストレスは一気にワーキングメモリの容量を低下させ、物事を併行して考えるのが面倒臭くなるため作業効率が落ち、最悪のケースでは考えること自体が嫌になり頭が真っ白になってしまうことも。
メモリの容量オーバーでパソコンがフリーズした状態と同じようなことが脳で起こるわけです。
適度な緊張感は身が引き締まりますが、「失敗したらどうしよう」という不安や心配が大きいとワーキングメモリが上手に働かなくなり、ここぞというときに実力を発揮できません。
焦って要領が悪くなったら、「ちょっと失礼します」と席を立って仕切り直し。
つまり、リセットです。
フリーズしたパソコンが再起動で復活するように、席を立ってその場から離れるとワーキングメモリは一旦復活して、再び冷静になれます。
大事な場面で席を立つのは勇気がいることですが、思考回路がフリーズしてしまったら商談が失敗してしまうかもしれません。
そうなる前に「ちょっと失礼します」で風向きを変え、自分のペースに軌道修正というのもひとつの方法です。
投稿者: 伯税務会計事務所