2021.04.15更新

 昨年、初めてマラソン大会に挑戦した知人がいます。自慢の体力で初マラソンもなんとかなるだろうと高をくくっていたようですが、実際は行くも地獄、戻るも地獄。

 「もうやめたい」と「まだやれる」の間を行きつ戻りつしながら何とか完走すると、想像以上の達成感で走っている最中の苦しみがパーッと吹っ飛び、また走りたいという気持ちがむくむくと湧き上がったそうです。

 「あのとき途中でリタイアしていたら苦しみや辛さだけが残ってしまって、二度とマラソンをやろうとは思わないだろう」。

 彼の心境は商売にも通じる成功のヒケツともいえます。

 傍らから見ても大変な目に遭った人が笑って苦労話をできるのは、自分が満足するまでやったから。

 やり遂げたという満足感は、それまでの苦労や辛さに対しても「ありがとう!」と言えるほど力強いパワーになるということです。

 経営の神様と呼ばれた松下幸之助も「成功とは成功するまでやり続けることで、失敗とは成功するまでやり続けないことだ」と言っています。

 ただ、途中でやめるのがよくないわけではなく「大変だ」「苦しい」「辛い」と感じている最中にやめてしまうと「次の一歩」も「気持ちの一歩」も止まってしまうのでしょう。

 コロナで二極化が進むといわれる世の中で、元の世界に戻ることを期待している人と、これぞチャンスと新たなチャレンジに挑む人との二極化も明らかになっています。

 シドニーオリンピック・女子マラソンの金メダリスト高橋尚子さんは、結果が出ないときも「何も咲かない寒い日は、下へ下へと根を伸ばせ。

 やがて大きな花が咲く」の言葉を励みに練習を続けたというのは有名な話です。

 何が起きてもおかしくない正解のない時代だからこそ、自分の感覚を信頼して、自分で創り上げるというアクションが大事になるのではないでしょうか。

 まだできると思ううちは粘り強くやり続け、やめるときは潔く。

 とはいえ一人の戦いは寂しいものです。

 ぜひとも良い仲間を増やして、お互いに切磋琢磨を積み重ねていけるのが理想ですね。

投稿者: 伯税務会計事務所

2021.03.15更新

 10年前の2011年は「水」の年だといわれました。

 世界各地で水害が相次ぎ、日本では甚大な震災による大津波が、尊い命や人々の生活や大事な思い出を奪っていきました。

 水にまつわる悲しい出来事が多かった一方、夢のある「水」の話題もありました。

 アメリカ航空宇宙局(NASA)によれば、太陽系以外で約1200個の惑星候補が発見され、そのうち54個には生命に欠かせない水が存在する可能性があるとのことでした。

 水と空気のある地球は「奇跡の星」と呼ばれますが、奇跡の星がほかにもあるかもしれないと話題になった記憶があります。

 命を育む一方で命を奪っていく水。

 水に感謝しても、水を恨んでも、水はただ水としてそこにあるだけです。

 それが現実というものであり、あるがままの現実を受け入れることで私たちは自然と共生していけるのでしょう。

 「ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず」。

 川の水は絶えることがなく、しかも決して同じ水ではないという『方丈記』の冒頭の一節は、常に遷(うつ)り変わっていくこの世のはかなさを説いています。

 すべてのものは刻一刻と変化して、世の中は思い通りにいきません。

 それを重々承知の上でも、こんなはずではなかったと嘆きたくなることもあります。

 頭で分かっていても心がついていかない。その時間のどれほど苦しいことでしょう。

 その苦しみから自分を解放するには現実を受け入れるしかありません。

 1994年に起こった松本サリン事件で一時、犯人扱いされた河野義行さんを覚えているでしょうか。

 本人は犯人と疑われ、奥さまはサリン被害で意識が戻らず、長い療養生活の末に亡くなられました。

 それでも河野さんは言います。「現実は現実。与えられた人生を恨みの感情で生きるのは損。与えられた現実の中で最大限に生きる」。

 どうにもならない現実を肯定する勇気が私たちに気づきや想像力を与えてくれます。

 頑張っているのに何も変わらないと思うのは、ゆく河が止まって見えるのと同じこと。

 行動していれば物事は確実に進んでいきます。歩みを止めずに共に行きましょう。

投稿者: 伯税務会計事務所

2021.02.15更新

 冬の寒さがピークを過ぎれば「春眠暁を覚えず」のフレーズが口をついて出る季節がやってきます。

 それにしても、春にむさぼる惰眠の気持ち良いこと。

 「あと5分、あと3分だけ」と惰眠をむさぼるのは、ささやかにしてぜいたくな瞬間ですね。

 ところで最近では「スローライフ」や「ロハス」が再び注目されるようになりました。

 健康や地球環境を意識したロハスというライフスタイルが、日本でブームになったのは15年ほど前。

 昨年から世界中を騒がせている出来事は、無駄を省いて便利に効率よく生きることが良しとされてきた風潮に一石を投じたように感じます。

 転じて商売の面で考えてみると、効率重視でやってきた会社は、今までのやり方が通用しない場面が増えているのではないでしょうか。

 労力や手間を喜びや満足に変えるエネルギーが枯れてしまうと、一事が万事で仕事も味気なくなり、いざという時の踏ん張りも効きづらくなるものです。

 ダメージの度合いは業種業態にもよりますが、変化やチャレンジをいとわず柔軟に行動し続けている会社は、このピンチをチャンスに変えているようにも思います。

 例えば歩くスピードを緩めると、道端に咲いている名もない花の美しさに目が留まり、早春の日差しのやわらかさを肌で感じます。

 心の速度はスローダウンさせ、時には立ち止まってあたりを見渡し、けれどいざ行動するときは素早く動く。このようなメリハリが、これからの不確かな時代を乗りこなしていく商売の在り方ではないかと思うのです。

 「この世は一冊の美しい書物である。しかしそれを読めない人間にとっては何の役にも立たない」これはゴルドーニュの言葉です。

 学ぼうという気持ちがあれば、起こる出来事すべてから多くを学べるという教えはその通りでしょう。

 その意味で、この世は一冊の美しい書物だといえます。

 あとは、それを読みこなそうとする、どんな困難にも屈しない強い気持ちがあるかどうか。

 春眠をむさぼりつつ、よく目を凝らしながら世の中の流れをしっかり見ていきたいものです。

投稿者: 伯税務会計事務所

2021.01.15更新

 お正月の華やかな気分も寒の入りを過ぎる頃には落ち着いて日常が戻ってきます。

 二十四節気の「小寒」の次候にあたる1月11~15日頃は、七十二候の「水泉動」。

 「しみずあたたかをふくむ」と読みます。

 ちょうど1年でいちばん寒い時季ですが、地中では陽気が生じ、凍った泉では少しずつ水が動き始めている様子を表す言葉が「水泉動」です。

 あたり一面が冬枯れた晩冬の景色には一見、生命の躍動を感じさせるものは何もありません。

 しかし、身がすくむような寒さでいてついた地面の下では、ほんの少しずつ春に向けた準備が始まっています。

 目に見えない自然の変化を見逃さず「水泉動」と表現した先人の鋭い観察眼や美意識。

 文明の発達と引き替えに私たちがこうした細やかさを失いつつあるとしたら、それはとても残念であり寂しくもあります。

 日本語の「文明」と「文化」は同じように使われますが、この2つは似て非なるものであると考えているのは生物学者の福岡伸一氏です。

 福岡氏いわく「文明は人間が自分の外側に作り出したある仕組み」。

 電気、携帯電話、インターネットなど、生活の便利さ快適さ効率を追及するために作られたものです。

 一方の文化とは「人間が自分たちの内部に育ててきた仕組み」。

 私たちの歴史と共にあり、土地に依存して風土に寄り添い、私たちの生命を守って生活を支えてきたものを福岡氏は文化と呼びます。

 現代はずいぶん文明寄りになっていると感じますが、ここ数年「アート思考」が注目されるようにもなりました。

 大雑把にいえば、自分だけのものの見方であり、既成概念の外し方と表現する人もいます。

 「これからは経営セミナーより美術館」だと言って、美意識を鍛える経営者が増えているとも聞きます。

 厳冬でも地中に春が眠っているように、先人から受け継がれてきた文化は私たちの中にあります。

 自然がゆっくりと春に向かっていくように、ここで改めて文化に触れ、より心のこもった商売をしていきたい。

 そんなことを考えた新年でした。

投稿者: 伯税務会計事務所

2020.12.15更新

 大みそかの夜を「除夜」というのは、一年の最後の日ごよみを「除く」「夜」から来ているそうです。

 暮れゆく年を惜しみつつ、新しい年を迎えるための行事のひとつが「除夜の鐘」です。行く年来る年をまたぐ除夜の鐘は108回つかれますが、これは「煩悩の数」という説が有名です。

 煩悩とは、自分を悩ませるものや心を乱すもののこと。

 仏教の根本的な考え方でいうと、人の煩悩は大きく三つあるそうです。

 一つ目は「貪(とん)」。必要以上に欲しがること。

 二つ目は「瞋(じん)」。自分の心に執着して思い通りにならないと怒ること。

 三つ目は「痴(ち)」。無知で愚かな考え方にとらわれること。

 三つ合わせて「三毒(さんどく)」と呼ばれています。

 つまり私たち人間は「欲」と「怒り」と「愚かさ」で心を乱しているのです。

 すでに十分持っているはずなのに「もっと、もっと」と欲しがるのが「欲」です。

 欲の対象はモノに限りません。

 私たちはしょっちゅう他人と自分を比べては「もっと○○だったら良かったのに」と嘆いたりします。

 思い通りにならないのが世の中なのに、自分が知っている世界だけでものを考えていると、いつもイライラしながら暮らすことになります。

 そうやって自分で煩悩を生み出してしまうのが人間の愚かさなのでしょう。

 今年は世界中の人たちが同じ困難に直面するという前代未聞の年でした。

 そんな逆境の中でも復活が早かったのは「三毒」と距離を置いている人たちや商売だったように思います。

 実際にSNSでは「こんな時だからこそペイフォワードの精神で」という呼びかけをたくさん目にしました。

 ペイフォワードとは、受けた恩を別の人に渡すこと。

 日本の「恩送り」の精神です。自分だけが良ければいいというのは、じわじわと自分の首を絞めているのと同じことです。

 お互いに助け合うほうが全てにおいて楽ですし、めぐりめぐった厚意はいずれ自分に返ってくるでしょう。

 今の世の中の状況は、私たちに「利己か利他か」を問いかけているようにも思えます。

投稿者: 伯税務会計事務所

2020.11.15更新

 小柄だと不利なことが多いスポーツ界において、大柄な選手に勝る活躍をしている人を「小さな巨人」といったりします。

 町工場を営むT社長は今年、何度も「小さな巨人」という言葉を思い出しているそうです。 

 それは、30代後半で自分の工場を始めたとき、心の師と仰いでいる人から送られたエールでした。

 世の中の景気の低迷で仕事がままならない今の時期に、恩師の言葉を思い出して「小さな巨人を目指してもうひと踏ん張り!」と自分を鼓舞しているそうです。

 普段はまったく思い出すこともないのに、ふとした瞬間に浮かんでくるうれしい記憶があります。

 例えば幼い頃、近所のおばあちゃんに「あんたはいい子だねぇ」と頭をなでてもらったこと。

 算数のテストが12点だったとき「名前が上手に書けたから」とナイショで3点をおまけしてくれた担任の先生。

 退職するとき、それほど親しくなかった人から「あなたの明るさにいつも励まされていました」とお礼を言われたこと。

 その多くはたいがい小さな出来事であり、とても個人的なものですが、記憶の断片が花びらのように舞い降りてくると、そのとき感じたうれしさが鮮やかによみがえってきたりします。

 おばあちゃんの手の感触。担任の先生の温かいまなざし。実は自分をちゃんと見てくれていた人。

 もう何十年も前のことなのに、思い出すと今でも心強い気持ちになる。

 そんな記憶が人を支えているのではないかと思います。

 色々な人たちが自分を気にかけてくれていて、自分は大切にされていたんだなぁと気付くとき、人は感謝と共にやさしい気持ちになるものです。

 「商売が思うようにいかないこともあるけれど、そんなときこそ大切にしてもらった記憶が“自分は大丈夫!”という強さになる」とT社長は言います。

 それは根拠のない「大丈夫」かもしれないし、実のところ目の前の状況は大丈夫ではないときもあるけれど、日々淡々と「自分は大丈夫!」と感じながら生きていくことが商売の希望をつなげていくのではないでしょうか。

投稿者: 伯税務会計事務所

2020.10.15更新

 江戸時代の城下町では草履(ぞうり)が普段履きでした。

 一方、遠路を旅するときは、普段の草履よりも丈夫な履き物を使っていたそうです。

 それは今でいう靴下と草履を合わせたようなもので、山道を歩くときはさらに虫除けがついたものを用意する旅人もいたようです。

 昔の旅がほとんど徒歩だったことを思えば、旅には旅用の履き物を用意したのでしょう。

 それが転じて「状況によって履き物(靴)を替えられる人」とは、つまり「臨機応変な対応ができる人」を指すようになったという説があります。

 「おしゃれは足元から」とか「靴にこだわる人こそ本当のおしゃれ」といった俗言もこの説に由来するものかもしれません。

 たしかに「足元」は、全体に占める分量が少ない割には人目を引く部分です。

 足元にはその人のセンスが凝縮されるのでしょうか。

 また禅宗には「脚下照顧(きゃっかしょうこ)」という言葉があります。その意味は「足元に気を付けよ」。

 自己反省、または日常生活の直視を促す語だそうです。

 「足元」は、実にさまざまな意味を含み持つ言葉です。

 「立っている足の下」という意味はもちろん、「縁の下や土台」「履き物」も足元といいます。

 さらには「身辺」「足取り」「弱点」「足がかり」「足場」など今、置かれている状況も「足元」という言葉で比喩的に表現されます。

 「あの人は地に足がついた人だ」とか「人の足元を見る」などの言い回しがありますが、足元は無言のうちに「人となり」も物語っているようです。

 どんなに高価な靴を履いていても、その靴が泥やホコリで汚れていては、靴どころか本人の品格まで台無しです。

 逆に、多少くたびれた靴でも手入れが行き届いていれば、愛用品を大事にする心持ちが好感を呼ぶでしょう。

 足元には本質が見え隠れします。

 人の足元を見た商売はなかなかうまくいきません。

 日常を直視して、変化をいとわず、状況によって履き物を替えながら足場を固めていく。

 明日、何が起こっても不思議ではない今の時代には、地に足のついた商売こそが王道ではないかと思います。

投稿者: 伯税務会計事務所

2020.09.15更新

 皆さん、上を向いて歩いていますか?体と心はつながっています。

 上を向くと気分が上がり、下を向くと気分が下がる。

 そんな気がするだけでなく、実際に脳もそう感じるそうです。

 さて、ある社長は昨年、古い知り合いからこんな手紙を受け取りました。

 「僕は毎年、1年の終わりに近づくと、次の年に向けて自分自身に手紙を書くんですが、それは単に日記帳に書くのではなく、自分が1年後にどうなっていたいかということを書くんです。そして1年が過ぎて、その文章を読むと、過去の自分に出会えるだけでなく、その瞬間、そしてそれからの自分のあり方、つまり未来の自分にも向き合うことができる。そんなバカなことをやっています」。

 若い頃に役者をやっていたこの手紙の男性は、役者の先生からこの習慣を教えてもらい、もう20年以上も続けているそうです。

 20代の初めに海外を放浪したあとニューヨークに移り住み、それから25年近くの時間を異国で過ごしてきた彼には、自分の映画を撮るという夢があります。

 長い間ひとつの夢を追いかけるということ。

 しかも異国で。思うように行かないことが多かった中、年の瀬に書く自分宛ての手紙は、自分への叱咤(しった)激励と同時に希望となって長年、彼を支えてきたのだろうと想像します。

 「さて、来年ですが、これまでのすべてを忘れて、ゼロから映画創りに挑戦する気構えです。良い年を迎えましょう!」これが昨年末のこと。

 彼は今年、コロナ禍という世界的な逆境の中、念願の映画撮影に入りました。

 「自分の映画を撮る」と決めてから30年が経過しています。

 「新しい目標を持ったり、新しい夢を見るのに、年をとりすぎたということはない」。

 これは『ナルニア国物語』を書いたイギリスの作家であるC・S・ルイスの言葉です。

 今の世の中、ちょっとでも気を緩めると下を向きたくなるようなことが多いのは確かでも、どこに目を向けるかは自分次第。

 来年の今頃、上を向いて商売に励んでいる自分を想像しながら、1年後の自分に手紙を書いてみるのも良さそうですね。

投稿者: 伯税務会計事務所

2020.08.15更新

 永らく政治文化の中心地として栄えた千年の古都・京都。

 そのきらびやかさを思えばそこには何でもあったのでは?と想像しますが、山に囲まれた盆地では新鮮な海産物が手に入らなかったようです。

 その代わり「京野菜」という伝統野菜が発達しました。

 あまたの寺社を中心に精進料理が発達する中、公家や御所に献上する名産品の野菜を京の風土に合わせて品種改良した京野菜は、京料理の貴重な材料として継承されてきました。

 有名な九条葱(ねぎ)をはじめ、青味ダイコンやスグキ菜、さらに今は京都のイメージが強い「ブランド京野菜」も含めて「京野菜」と呼ばれています。

 「世の中の二極化が進む」とよく耳にします。中途半端はつぶしが効かないということでしょう。

 新鮮な海産物が手に入らなかった古都でブランド野菜が発達したように、お客さまの課題を解決することでオリジナル商品が生まれ、商売のブランディングにつながっていくかもしれません。

 成功のポイントは、とことん解決することです。

 お客さまのお困りごとをヒアリングして、ヒアリングをもとに商品やサービスを試作して実際に試してもらい、感想を聞き、それをもとに試作品を改良して、また試してもらう。

 このサイクルが機能すれば必然的に試作品がブラッシュアップされていきます。

 機能や質が向上していくのはもちろんですが、最も意図しておきたいことは、お客さまの課題を解決するための特長をとがらせていくことです。

 京野菜は単なる品種改良ではなく、もともとの名産品を京都の風土に合わせて改良を重ねました。

 つまり「京」をとがらせてブランド化したことが成功をもたらしたのでしょう。

 商品もサービスも、なんとなくうまくいったものは、なんとなく消えていきます。

 人の目に留まることは重要ですが、奇をてらうことがオリジナリティーではありません。

 では、商売のどこをとがらせていくのか。ヒントを持っているのはお客さまです。

 お客さまのお困りごとを解決するために、とことん知恵を絞ってみましょう。

投稿者: 伯税務会計事務所

2020.07.15更新

 僧侶であり歌人でもあった良寛は「老い」と白髪を結びつけた歌を多く残しました。

「白雪は降ればかつ消ぬしかはあれど頭に降れば消えずぞありける」は、自らの老いを自覚した良寛が「白雪は降るそばから消えてしまうが、髪の毛に降った白いものは消えてくれないことよ」と詠嘆した一句です。

 良寛でなくとも「髪の毛に降った白いもの」は嫌でも老いを感じさせます。

 年齢を考えれば自然なことでも、鏡を見るたびに「また増えたかも・・・」と気になります。

 仕方ないと思いつつも気になってしまうのは白髪ばかりではありません。

 例えば人のクセ。

 特に同じ屋根の下で暮らす夫婦の場合、仲が良いときは黙って見逃せる相手のクセが、ひとたび雲行きが怪しくなると途端に気に障るようになり、つい相手を責めるような物言いをしてしまうことはありませんか?

 髪の毛に降った白いものが消えないように、人の性格もそうそう変わりません。

 アンチエイジングもこだわりすぎれば息苦しくなり、人のことも「こうあるべき」と言い出したら人間関係がぎくしゃくします。

 冒頭の歌は、良寛が自分の老いを自覚して詠んだと書きましたが、良寛は白髪自体を嘆いたのではありません。

 自分の白髪頭に苦笑して、老いを笑い飛ばしているのだと思います。

 このご時世、気になることは山ほどあるでしょう。

 けれど「白髪を気にして抜くと白髪が増える」と言われるように、心配事を数え始めたら、心配が心配を呼んで不安ばかりが大きくなってしまいそうです。

 自分のことも人のことも、商売の先行きも、肝心なのは気にしすぎないことではないでしょうか。

 答えのないことを考え続けても、いたずらに時間が過ぎていくだけです。

 自然の摂理を詠んだ良寛の句に「花無心にして蝶を招き、蝶無心にして花を尋ぬ」があります。

 花は無心で咲き、蝶も無心で花を尋ねる。仕事も同じく、無心でする仕事こそが美しく、長続きして、世のためになるという意味です。

 心は熱く、頭は冷静に、今できることに集中して、今日も心穏やかにいきたいですね。

投稿者: 伯税務会計事務所

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