2018.06.15更新

 観光庁によれば平成29年の訪日客消費額は初の4兆円超えで、過去最高を更新しました。

 外国人をターゲットにしたインバウンドビジネスは今後も伸びていくことが予想され、貴社の商売でも外国人と接する機会が今まで以上に増えるかもしれません。

 外国人が相手だと真っ先に言葉の壁を心配する人が多いようですが、言葉以上に悩ましいのは常識の違いでしょう。

 小売業を営むA氏は身をもってそれを実感したばかりです。

 A氏が取引先を招いてホームパーティーを開いたときのこと。

 表向きはざっくばらんな懇親会でしたが、実は新規の取引先であるブラジル人のS氏のサプライズパーティーでもありました。

 S氏には「午後1時に来てね」と伝えておき、他の人たちは先に集まってS氏を歓迎しようという計画でした。

 ところがS氏は30分も遅れて来たのです。

 しかも悪びれた様子はまったくありません。

 A氏は思わず感情的になって、約束に遅れて来たS氏を非常識だと責めました。

 しかしS氏は相手が何に腹を立てているのかまったく理解できず、しばらく面食らっていたそうです。

 ブラジルでは、内輪のパーティーに呼ばれたら始まりの時間より30分ほど遅れて行くのがマナーだったのです。

 それは、相手が急いで用意をしなくても済むようにという心遣いでもあり、1時間くらい遅れて行く人も少なくないのだとか。

 つまりS氏は遅れてしまったのではなく、マナーとしてあえて遅れて来たのでした。

 約束の時間を守るのが当たり前だという日本と、遅れて行くのが当たり前だというブラジル。

 後日、その事実を知ったA氏は「当たり前」が違う同士でお互いを非常識だと非難するのは、それこそ非常識というものだったと深く反省したそうです。

 国が違えば常識も違う。

 国が同じでも人の数だけ常識がある。

 分かっているつもりでも、つい自分の常識が万国共通だと思ってしまうことがあります。

 時に常識を疑うことも必要だろう。

 これがA氏にとっての商売の新常識となったようです。  

投稿者: 伯税務会計事務所

2018.05.15更新

 北海道では春の息吹を感じ、沖縄では初夏を迎える5月。日本全国いたるところで体中に力みなぎる季節になりました。

 5月21日頃は二十四節気の「小満」(しょうまん)にあたります。

 小満とは、万物に生気が充満し、果実が実り草木が繁るという意味で、自然界の全てのものが次第に満ちてくることから小満といわれます。

 田畑からの収穫を生活の糧にしていた昔の人にとって、農作物の出来・不出来は死活問題でした。

 5月の半ば過ぎは前の年の秋にまいた麦などに穂がつく頃。

 無事に穂がつくと「今のところは順調だ。

 よかった、よかった」とひと安心(少し満足)したことが小満の由来のひとつだともされています。

 ところで、二十四節気には「小暑」に対する「大暑」があり、「小寒」に対する「大寒」があります。

 しかし「小満」の対になる「大満」はありません。

 小満が「ひと安心」なら、大満は「心配事が何もない満足しきった状態」とでもなるのでしょうか。

 自然は慈母のようなやさしい面を持つ一方で、暴君のような怖さも、情け容赦のない厳しさもあります。

 今よりずっと自然に寄り添って暮らしていた昔の人々は、自然の二面性を肌身でしっかり感じていたからこそ、暦に大満がないのかもしれないと勝手に想像してみました。

 話を現代に移しましょう。

 現代人の小満は「ひと安心の少し満足」ではなく「少々不満」になっているような気がします。

 今のところは順調でもそれだけでは満足できず、先の先まで順調であろうとしたり不安になったり。

 待つことを嫌い、結果を先に知りたがり、麦の穂が出るのは当たり前だと思って感謝を忘れてしまう。

 私たちは知らず知らずのうちに大満を追い求めてきたのではないでしょうか。

 これが仕事であれば日々、何の心配もなく十分満たされた「大満商売」は理想的かもしれません。

 けれど何事も陰陽、表裏一体だと思えば「ありがたい、ありがたい」とひと安心して感謝する「小満商売」でありたいと、薫風に吹かれながら思うのでした。

投稿者: 伯税務会計事務所

2018.04.15更新

 A氏がクリーニングに出したジャケットが破損して戻ってきたそうです。

 あらかじめ破損の可能性を知らされていたので仕方ないと納得したものの「こんなにひどいヒビ割れは今まで見たことがない」と受け付けの店員も驚くほどの状態なのに、取りに行くまで何の連絡もなかったことにA氏は違和感を覚えたそうです。

 A氏も会社を経営する立場。

 トラブルの対処は初動が肝心だと常々肝に銘じています。

 そこで、その店員に「こういう場合はどうされるのですか?」と聞いてみると「弁償はできませんがクリーニング代をお返しして、ご迷惑料として一律5000円をお支払いしています」とのこと。

 今まで見たこともないくらいひどい状態だと言いながら「一律」とは・・・。

 どんな会社なのか逆に興味がわいたA氏は「弁償は望みませんが、上の方から一度お電話いただけませんか」とお願いしてみました。

 その翌日、クリーニング店からの電話に出られなかったA氏がコールバックすると、電話口の人が明るく元気にこう言ったそうです。

 「あのクレーマーの方ですね!」。

 店員にまったく悪気がないのは分かりました。

 このクリーニング店では、店員同士が「クレーマー」という言葉を日常的に気軽に使っているのだろうと感じられたからです。

 裏では「お客」、表では「お客さま」。

 それと同じノリで「クレーマー」に「方」を付けて「クレーマーの方」というおかしな言葉を編み出したのだろうと想像し、A氏は怒るというより笑ってしまったそうです。

 そして同時に、これが自分の会社だったらと考えて背筋がゾッとしたのです。

 会社が築いてきた信頼や信用は、たった一人の、たった一言で、いとも簡単に失われてしまうことがあります。

 A氏は朝礼で「日頃の自分が仕事にも表れます。

 日常こそ自分を磨く場です」と話し、自分も襟を正したのでした。

 ところで、経営者にとって世にも怖い話の結末は、クリーング代の返金と、茶封筒からおもむろに取り出された迷惑料1万円。

 結局オーナーは登場せず、A氏は言われるままに1万円の領収書を書いたそうです。

投稿者: 伯税務会計事務所

2018.03.15更新

 知人の家の裏庭に、ときどき野良猫の親子がやって来るそうです。

 親猫はガリガリに痩せており、2匹の子猫はどちらも片目がつぶれていて、おそらく病気にかかっているとのこと。

 知人は子猫を病院に連れて行こうか迷ったそうですが、一時期でも親猫から引き離すことが良いことなのかどうか考えた末に、黙って見守ることにしました。

 雨の日には裏庭の物陰に3匹で寄り添い、晴れた日には陽当たりの良い場所でのんびり昼寝を楽しむ親猫の周りで、子猫たちがじゃれて遊び回っているとか。

 その様子を見て知人は思ったそうです。

 今の時代、野良猫として生きていくのも大変だろうに、親猫は親としての役目を淡々と果たし、子猫は明日のことなど知るよしもなく今に遊ぶ。どうやら小さな出来事に右往左往しているのは人間だけかもしれない・・・。

 ロシアの作家チェーホフは、44歳で亡くなる5カ月前に、かつての恋人リージャ・アヴィーロヴァに手紙を送りました。

 「ごきげんよう。なによりも、快活でいらっしゃるように。人生をあまり難しく考えてはいけません。おそらくほんとうはもっとずっと簡単なものなのでしょうから」。

 チェーホフが言うように、人生は自分で考えているよりもずっとシンプルなのかもしれません。

 そんなシンプルな人生をわざわざ複雑にしているのは、他でもない自分自身でしょう。

 商売で成功する秘訣(ひけつ)、幸せになる方法、ちまたにあふれる色々なノウハウは人生を豊かにする手助けのように見えて、実は自分を余計に惑わせる足かせになっている場合もあります。

 楽しい人生にしたければ、ノウハウを学ぶよりシンプルに生きればいいという、実に単純明快なメッセージをチェーホフは残してくれました。

 役に立ちたい。面白そうだ。やってみたい。

 純粋な動機で始めたことが、いつの間にか、おなか一杯なのに「おかわり!」と叫ぶようなことになっていませんか。何事も深刻になり過ぎるのはよくありません。

 おなかが空けば、ごはんはおいしい。至ってシンプルな原理ですね。

投稿者: 伯税務会計事務所

2018.02.15更新

 早春の頃、ほかの木に先駆けて白い花をこずえいっぱいに咲かせるこぶし。

 直径10cm程の大きな花は、新葉より早く開花します。

 「こぶし咲く、あの丘、北国の、ああ北国の春」。

 千昌夫さんの『北国の春』の歌詞で もおなじみの花です。

 東北地方では、こぶしの花が咲き出すともうすぐ春がやって来ます。

 寒い冬を乗り越えてきた北国の人々は、こぶしの花が咲く日を今か今かと待ち望んでいます。

 昔はこぶしの花の開花時期から農作業のタイミングを判断したり、花の向きから豊作かどうかを占ったりしたそうです。

 そのためこぶしは「田打ち桜」「田植え桜」「種まき桜」などとも呼ばれています。

 昔の人は季節の変化(自然現象)から農作業の時期を判断していました。

 植物がそれぞれの特性に適した季節に開花することを体験的に知っていたのでしょう。

 子孫を残すために不可欠な植物の知恵が、人間の生活の知恵にもなっていたのです。

 多くの植物がそれぞれ決まった時期に花を咲かせるのは、昼と夜の長さから季節を認識して反応する「光周性」という現象によるものだそうです。

 植物の光周性はきわめて繊細で、明るい時間と暗い時間の差が30分程度あれば敏感に反応するのだとか。

 夜間でも温室内に照明をつけて日長を調節すると植物は季節を勘違いします。

 季節外れの花や野菜が店頭に並ぶのは植物の光周性を利用した人間の知恵であり、見方を変えれば人間の欲でもあります。

 その昔、自然と人間は今よりも良い関係でした。

 私たちの祖先は自然を尊重し、敬意を払い、恵みに感謝しながら自然の知恵をお借りしていたのでしょう。

 春が近づけば自然とこぶしの花が咲くように、何事にもそれに相応しい時期があるものです。

 真夏にこぶしを咲かせようとすればしっぺ返しをくらうかもしれません。

 欲も行き過ぎれば商機を逸してしまいます。

 何事にも焦ることなく、知恵で商機を見出したいものですね。

投稿者: 伯税務会計事務所

2018.01.15更新

 ヒッチコック監督のサスペンス映画『知りすぎていた男』では、ドリス・デイの歌う『ケ・セラ・セラ』が物語のラストに向けた重要な糸口になっていました。

 「大きくなったらきれいになれる?お金持ちになれる?」そう尋ねる女の子にママや学校の先生は言います。

 「ケ・セラ・セラ、なるようになる」。

 大人になると恋人にも聞きます。

 「幸せな未来が待っているの?」。

 恋人の答えも「ケ・セラ・セラ」。

 彼女が子どもを授かると、今度は子どもが尋ねます。

 「私はきれいになれる?」。

 「ケ・セラ・セラ、先のことなんて分からない、なるようになるわ」。

 小気味よいストーリーも巧みですが『ケ・セラ・セラ』はそれ以上の印象を残して映画は幕を閉じます。

 「一休さん」の愛称で親しまれた一休和尚は遺言状を書いてこの世を去りましたが「大きな問題が起こるまで決して読むな」と言い残したそうです。

 弟子の僧侶たちは教えを守り、遺言状が開封されたのは一休和尚の死からしばらく経ってからのこと。

 大きな問題に直面していた僧侶たちがすがる思いで開いた遺言状には、こう書かれていたそうです。

 「なるようになる。心配するな」。

 とんち好きだった一休和尚らしい逸話です。

 「なるようになる」といえば、沖縄の方言の「なんくるないさぁ」が思い出されます。

 「なるようになる」とか「なんとかなる」という意味で知られていますが、沖縄の人に言わせると、生きていく辛さの中から生まれた深くて力強い言葉だそうです。

 ままならない世の中でも私たちは生きていかなくてはなりません。

 でも、誠実に真剣に生きていればきっとうまくいく。

 それを信じる気持ちが「なんくるないさぁ」なのでしょう。

 時代の変化のスピードは加速度を増し、商売のやり方も人の考え方も変わってきました。

 「今しかない」といいますが、本当になんとかできるのは、まさに「今の自分」のことだけでしょう。

 商売に正解はありません。

 うまくいかないときも「なるようになる」の精神で、今の自分にできることに集中したいものですね。

投稿者: 伯税務会計事務所

2017.12.15更新

 ある人から次のような話を聞きました。

 小学4年生のK子ちゃんは「私の夢はイルカの調教師」という作文を書いたそうです。

 けれど書き終えた後「夢って本当にかなうものなのかな?どうしたら夢がかなうのかな?」という不安と疑問を持った彼女は、夏休みの自由研究のテーマを「夢は本当にかなうのかな?」に決めたそうです。

 夢について書かれた本を読んだり、夢をかなえた有名人をインターネットで調べたりしました。

 また「夢はかないましたか?」というアンケートを自分で作っていろいろな職業の人に書いてもらったり、直接話を聞いたりして自由研究をまとめたそうです。

 ノーベル賞を受賞した山中伸弥教授の本を読んで「どんどん試して失敗することが大切です」という言葉に勇気をもらったK子ちゃんは、京都大学iPS細胞研究所を訪ね、国際広報室の人にも話を聞いたようです。

 果たしてK子ちゃんの結論はどうだったのでしょう。

 「夢はかなう。けれど夢はかなえるもの」これがK子ちゃんの研究成果でした。

 夢をかなえるために必要なのは準備や行動だけでなく、まずは楽しむこと。

 好きなことにアンテナを張って毎日を生き生き過ごすこと。

 やりたいことが見付かったら日付を決めて「夢」を「目標」に変え、その目標に向かって努力すること。

 失敗も大事な経験だから挑戦すること。

 さらには福澤諭吉の『学問のすゝめ』から「学問に入らば大いに学問すべし。農たらば大農となれ、商たらば大商となれ」という一文を引いて「どうせやるならとことんやろう。

 こうして夢はかなうのです」とまとめています。

 K子ちゃんのアンケートには「夢をかなえるために必要なことをひとつ教えてください」という質問があるそうです。

 あなたなら何と答えるでしょう。

 「81%以上の人が夢がかなっています。これはキラキラした明るい事実です」というK子ちゃんの言葉に背中を押されるのは、むしろ大人たちかもしれませんね。

 子どもたちに「夢はかなうよ」と言える大人でありたいと思った年の瀬です。

投稿者: 伯税務会計事務所

2017.11.15更新

 会社というのは与えられた仕事を単にこなす場所ではなく、その人の夢や信念を果たす場所なのです――。

 ザ・リッツ・カールトン・ホテルの創業に参画したホルスト・シュルツ氏の言葉です。

 信念は成功に欠かせない要素だと昔からよくいわれます。

 経営者セミナーに参加したS氏もその場で信念の重要性をたたきこまれ帰宅後、すぐ毛筆で「ぶれない信念」と書いて壁に貼り、毎朝毎晩「ぶれない信念」と胸に刻んでいたそうです。

 しばらくして同窓会に参加したS氏は、懐かしいクラスメイトたちに「やっぱりね、商売は信念が大事なんだよ」と熱く語っていたところ、その中の一人からこんな質問を受けたそうです。

 「ところで、お前の信念って何?」「おっ、いい質問だね」張り切って答えようとしたS氏ですが、なぜか言葉が続きません。

 そのとき初めて気が付きました。肝心の信念が・・・ない!「ぶれない信念」のインパク トが強烈だったのか、「ぶれない信念」という言葉自体が信念になってしまい、肝心要の信念の中身がカラッポだったのです。

 こういう人いるいる!と言いたいところですが、実は誰にでもよくあることなのです。

 朝礼で「今は大変な時期ですが、この状況から決して逃げ出さず、信念を持って努力を続ければ必ず道は開けると信じています」と社員を鼓舞する社長。

 わが社の信念、自分の信念、ちゃんと理解して話しているでしょうか。その信念を社員と共有できていますか。

 「よし頑張るぞ!」「何を?」「何だっけ?」みたいなことになっていないでしょうか。

 元リコー会長の桜井正光氏もかつて「トップが何事かを決断する場合、情熱と信念を持って自分の考えを説かなければ人はついてこない」とおっしゃいました。

 欧州でのビジネス経験が長かった桜井氏は「環境への配慮は企業の競争力強化につながる」との信念を持つようになり、その信念のもとで環境経営を加速したそうです。

 「ぶれない信念」が信念になっていないか今一度、自分と向き合ってみたいですね。

投稿者: 伯税務会計事務所

2017.10.15更新

 人生においてたった一度しかないチャンス。いったい何だと思いますか?

 それは「第一印象」です。

 その人との初対面はたった一度だけ。「第一印象」に二度目はありません。

 それなのに、たった一度の第一印象を意識している人は意外と少ないようです。

 商売でたくさんの人に出会うあなたはどうでしょう。

 第一印象とは人や物に接したとき、最初に受ける感じのこと。いわゆる「パッと見」です。

 その時間は15秒だとか10秒以内だとかいろいろいわれていますが、たった2秒という意見もあります。

 以前ベストセラーになった『第1感』の著者マルコム・グラッドウェル氏によれば「何かへの評価は2秒で決まる」のだとか。

 最初の2秒で感じる「なんとなく」を「第1感」と名付け、「(第1感で)状況や人物を瞬時に判断した」場合も、「半年以上の時間をかけて判断した」場合も、そのものへの評価はほとんど変わらないと分析しています。

 私たちは平均で3秒に1回まばたきをしているそうですが、2秒というのはまばたき1回分にも満たない一瞬。

 初対面で「はじめまして」とあいさつを交わすまでもなく、私たちは瞬時になんとなく相手を評価して、同時に自分も評価されているのです。

 しかもその評価はけっこう的確なので、第一印象が悪かったから時間をかけて自分を分かってもらおうと努力しても、修復できる確率は低いというわけです。

 人には実にさまざまな面があり、それらをひっくるめたものがその人なりの味わいとなります。

 しかし自分の人となりを見てもらう前に、出会いがしらの2秒で与える印象は思っている以上にインパクトが強いことを覚えておきたいものです。

 服装や立ち居振る舞い、話し方や声のトーンなど第一印象を良くするための演出はいくらでもありますが、結局は「普段の自分」がにじみ出てしまうものですし「普段」は隠せません。

 だったら普段からカッコ良く。カッコつけるのではなくて、自意識よりも美意識を大事にしていきたいものですね。

投稿者: 伯税務会計事務所

2017.09.15更新

 商売の極意を尋ねられて「聞くこと」と答えたのは、ベテラン経営者のT氏です。

 極意のきっかけは、その昔、夫婦で泊まった温泉宿とのこと。

 その宿は人里離れた場所に一軒だけぽつんとある民家のような旅館で、予約の電話をしたときに部屋にテレビがないと聞かされたときは「夫婦二人で間が持つだろうか」と心配になったそうです。

 ところが行ってみればなんてことはなく、遠くから聞こえるホトトギスの声、山里を吹き抜ける風の音、その風が木々を揺らせばサワサワと葉音が鳴り、夜は夜で耳を澄ませば「静けさ」という音が聞こえてくるようで、今までにないくらい心休まるひとときだったといいます。

 何よりの発見は「奥さんの声」だったそうです。

 普段はテレビに奪われていた耳を奥さんに向けたことで「この人はこんな声だったのか」と改めてしみじみしたのだとか。

 そのせいか、いつもなら何となく聞き流す奥さんの話を、その夜は耳を傾ける気持ちで聞いたそうです。

 「そしたら不思議なんだけど奥さんの表情がやわらかくなって。そうなるとこっちも笑顔になるから自然と会話が弾んでね。翌朝には恥ずかしながら手をつないで朝の散歩を楽しんだよ」。

 散歩の途中、いつもより優しい声で話している自分に気付いたT氏は、いつもより晴れやかな笑顔を向ける奥さんを見て思ったそうです。

 自分は今までどんな態度でお客さまの話を聞いてきただろう。

 どんな風にお客さまに話し掛けてきただろう――。

 詩人の山崎佳代子氏はかつて、講演でこんな話をされました。

 「声は人の魂を結びつける。声を出すときはみんなに届くように出し、声を聴くときは心を込めて聴く。この二つが欠けると社会はほころびる」。

 伝えたいことがお客さまに届くように話し、心を込めてお客さまの話に耳を傾ける。

 この二つが欠けると商売もほころびてくるかもしれません。

 話したり聞いたりは毎日のことです。

 どんな態度で、どんな心持ちで行うか、それが大事なのではないでしょうか。

投稿者: 伯税務会計事務所

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