2018.10.15更新

 その出来事をどう捉えるか――。これは本人の性格や状況、もっと高い視点でいえば、その人の哲学によって出来事の受け止め方は変わってきます。

 例えば、1万円を失くしてしまったら、多くの人は「もったいない。どうして気付かなかったんだ」と悔しがって嘆くでしょう。

ところが、ある社長は1万円を失くしたことに気付いた瞬間こそ「あぁ・・・」としょんぼりしたものの、そのすぐあとに「だけど私の1万円は拾った人の役に立つだろうから、それでいい」と笑っていたそうです。

 彼は普段から何かにつけてそんな調子だとか。

 思うように事が運ばなくても「そんなこともあるよね」と笑い飛ばし、アクシデントに見舞われても「こんなこと、めったに体験できないから」とアクシデント自体を楽しんでしまう。

 良くも悪くもあまり物事にこだわらず、執着しないたちなのでしょう。

 その楽観主義が周囲を和ませるのか、彼の周りにはいつも人が集まってきます。

 人が集まるところにはお金も集まってくるので、彼の商売が順調なのも自然の成り行きなのでしょう。

 よく言われる例えですが、失敗を「失敗」だと思わずに「経験」だと捉えれば、クヨクヨ悩まずにすみます。

 こんな楽観主義を「能天気」だ「お気楽」だと批判する人もいますが、脳科学者の茂木健一郎氏の著書『脳を活かす仕事術』によれば、「脳は楽観主義でちょうどいい」そうです。

 脳がうまく働くにはある程度、楽観主義なほうがいいという意見には経験的に思い当たる節もあり、何でも捉え方次第だと改めて痛感しました。

 早いもので今年もあと2カ月となりました。

 残りの日々を横目で見ながら1年のまとめに入っている気の早い人もいるでしょう。

 節目のタイミングでは、出来事を「良かった」「悪かった」の二分法で考えがちですが、「良い」「悪い」の判断より、色々あったけれど何とかやっていることに目を向けてみるのも悪くありません。

 思い悩んでもすべて過ぎてしまったこと。

 やり直せない過去にこだわれば、執着する分だけ未来に暗い影が差します。

 バランスのよい楽観主義でいきたいものですね。

投稿者: 伯税務会計事務所

2018.09.15更新

 入ってくるお金を増やすか、出ていくお金を減らすか。

 これは商売を改善するためのひとつの考え方です。

 入ってくるお金が増えなければ、出ていくお金を抑えるしかないと節約に励む家庭の主婦同様、商売でもコスト削減は必須ですが、むやみなコスト削減は社内の士気を下げ、社員のやる気が低下すれば生産効率も低下します。

 どこを削って、どこにお金をかけるのか。その見極めに悩む経営者は、節約上手な主婦の発想を参考にしてはどうでしょうか。

 家庭の主婦であれば、どんな状況下でもまず守るべきは家族だとしっかり認識しています。

 家族を守ることの筆頭は健康です。

 どんなに食費を切り詰めても、その範囲で可能な栄養バランスを考え、節約料理のバリエーションに知恵を絞ります。

 今はディズニーランドに行けなくても、健康でさえあればいつか家族全員でミッキーマウスと記念写真を撮れるでしょう。

 その日のために家族の健康を守るべく、主婦は今日もチラシをくまなくチェックして、底値を求めて遠いスーパーまで自転車を走らせるのです。

 商売が繁盛しているある会社の社長は、さぞかし豪華だろうと思いきや、外観も室内も拍子抜けするほど地味で殺風景。

 その理由を尋ねると「お客さまへのサービス提供と関係ないものには一切お金を使わない主義なんです」とのこと。

 例えば会社の内装にお金をかけてしまうと、提供するサービスの価格も高くしなくてはならない。

 価格を高くすれば宣伝広告も必要となり、それに伴い仕事量が増えてしまう。

 その社長は効率を重視した仕事ぶりで知られていますが、顧客のためにならない出費はしないというポリシーが効率化の最大の柱だそうです。

 あなたは、誰のためなら節約料理のバリエーションを増やそうと思えますか?

 何のためなら遠くのスーパーまで自転車を走らせることができますか?

 節約上手な主婦の発想を参考にすれば、最終的な目的を明確にすることで、お金をかけるところ・削るところの見極めがつくのではないでしょうか。

投稿者: 伯税務会計事務所

2018.08.15更新

 「わたくし、生まれも育ちも東京葛飾柴又です。帝釈天で産湯を使い、姓は車、名は寅次郎。人呼んでフーテンの寅と発します」。

 テンポの良いおなじみの名セリフを懐かしく思い出す方も多いでしょう。

 22年前に渥美清さんが亡くなったとき、フランスのル・モンド誌は「下町の英雄、寅さん逝く」と題した渥美清さんの 評伝を掲載しました。

 鞄ひとつで日本全国を気ままに旅する寅さんは、日本人が憧れる「小さな自由」を映画の中で具現していると述べ、寅さんを演じた渥美さんを「劇中の人物になりきったまれな役者」と高く評価しました。

 寅さんのあの自由さはどこからやって来るのか。

 「フーテン」とは仕事も学業もしないでブラブラしている人のことですが、寅さんは、実はたいした商売人だったのではないでしょうか。

 『男はつらいよ 拝啓車寅次郎様』にこんなシーンがありました。

 靴の会社で営業をしているおいっ子の満男が、仕事がつまらないと愚痴をこぼします。それを聞いた寅さんは、そのへんにあった鉛筆を満男に渡して「オレに売ってみな」と言うのです。

 満男はしぶしぶと「この鉛筆を買ってください」と寅さんにセールスをします。「消しゴム付きですよ」と特長をアピールしますが「僕は字を書かないから鉛筆なんて必要ありません」とすげなく断られてしまいます。

 満男が「こんな鉛筆は売りようがない」とさじを投げると、寅さんは満男から鉛筆を取り上げて「この鉛筆を見るとな、おふくろのことを思い出してしょうがねぇんだ」と、鉛筆にまつわる話をしみじみと語り始めました。

 もちろん即興の作り話ですが、これが実にうまいのです。

 細い目をもっと細めて、本当に懐かしそうに鉛筆を見ながら情感たっぷりにあの名調子で語ると、その場にいた家族全員が寅さんの話に心を奪われ、みんなその鉛筆が欲しくなってしまうのでした。

 鉛筆を「モノ」として売ろうとした満男と、鉛筆の「価値」を伝えた寅さん。つまり寅さんは、物を売るとはどういうことかを満男に実演して見せたのです。

 「どんな価値を付けるのか」今一度、自身の商売を見つめ直してみたいですね。

投稿者: 伯税務会計事務所

2018.07.15更新

 夏の日差しを受けて植物がぐんぐんと育つ季節。

 見上げるほどの大木を見ると、さぞかし根っこも立派なのだろうと想像します。

 植物の世界には「T/R比」という法則があります。

 地上に見えている幹や茎や葉の部分(Top)と、地下にある根っこの部分(Root)の重さの比率はほぼ一定でバランスを保っているという法則です。

 健全に育っている植物のT/R比は3~4。

 もしも根っこが切れてしまったら、樹木は自ら枝葉を落として正常なT/R比を保とうとするそうです。

 逆に枝葉が折れてしまったら根の量を減らしてバランスを保つという自然界の不思議な法則です。

 地上に見えている部分は全体の7割くらいですが、大きな木を支えているのは言うまでもなく根っこの部分。

 見えていない3割が地下で木を支えているわけです。根っこが十分に発達していないと木は倒れてしまいます。

 地下で根っこが深く広く根ざしていくほどに、地上では幹や葉っぱが縦に横にと伸びていく。

 書籍『奇跡のりんご』で知られる木村秋則さんが「植物を手本にして生きれば、間違いはない」と言うように、植物だけでなく勉強でもスポーツでも商売でも、根っこがしっかりしていることはとても重要です。

 けれど、どうしても表面的なものを求めたり、目先のお金を追いかけてしまったりと、枝葉にばかり意識が向いてしまうことはありませんか。

 それは商売のT/R比が崩れている状態でしょう。

 一見、華やかな成功を収めている人が、実は陰で人の何倍も努力していたという話は美談で終わりがちですが、表面的な結果が大きければ大きいほど見えないところでしっかりと根を張っていることを、改めて心に刻んでおきたいものです。

 ところで「大地にしっかり根を張って」という話をすると、その大地がもともと荒れ果てていたら根の張りようがないと返す人がいます。

 何でも環境のせいにしていては、根を張る前に種まきさえもできません。

 数ミリでも隙あらばコンクリートの割れ目からも顔を出す雑草のたくましさがまぶしく感じられます。

投稿者: 伯税務会計事務所

2018.06.15更新

 観光庁によれば平成29年の訪日客消費額は初の4兆円超えで、過去最高を更新しました。

 外国人をターゲットにしたインバウンドビジネスは今後も伸びていくことが予想され、貴社の商売でも外国人と接する機会が今まで以上に増えるかもしれません。

 外国人が相手だと真っ先に言葉の壁を心配する人が多いようですが、言葉以上に悩ましいのは常識の違いでしょう。

 小売業を営むA氏は身をもってそれを実感したばかりです。

 A氏が取引先を招いてホームパーティーを開いたときのこと。

 表向きはざっくばらんな懇親会でしたが、実は新規の取引先であるブラジル人のS氏のサプライズパーティーでもありました。

 S氏には「午後1時に来てね」と伝えておき、他の人たちは先に集まってS氏を歓迎しようという計画でした。

 ところがS氏は30分も遅れて来たのです。

 しかも悪びれた様子はまったくありません。

 A氏は思わず感情的になって、約束に遅れて来たS氏を非常識だと責めました。

 しかしS氏は相手が何に腹を立てているのかまったく理解できず、しばらく面食らっていたそうです。

 ブラジルでは、内輪のパーティーに呼ばれたら始まりの時間より30分ほど遅れて行くのがマナーだったのです。

 それは、相手が急いで用意をしなくても済むようにという心遣いでもあり、1時間くらい遅れて行く人も少なくないのだとか。

 つまりS氏は遅れてしまったのではなく、マナーとしてあえて遅れて来たのでした。

 約束の時間を守るのが当たり前だという日本と、遅れて行くのが当たり前だというブラジル。

 後日、その事実を知ったA氏は「当たり前」が違う同士でお互いを非常識だと非難するのは、それこそ非常識というものだったと深く反省したそうです。

 国が違えば常識も違う。

 国が同じでも人の数だけ常識がある。

 分かっているつもりでも、つい自分の常識が万国共通だと思ってしまうことがあります。

 時に常識を疑うことも必要だろう。

 これがA氏にとっての商売の新常識となったようです。  

投稿者: 伯税務会計事務所

2018.05.15更新

 北海道では春の息吹を感じ、沖縄では初夏を迎える5月。日本全国いたるところで体中に力みなぎる季節になりました。

 5月21日頃は二十四節気の「小満」(しょうまん)にあたります。

 小満とは、万物に生気が充満し、果実が実り草木が繁るという意味で、自然界の全てのものが次第に満ちてくることから小満といわれます。

 田畑からの収穫を生活の糧にしていた昔の人にとって、農作物の出来・不出来は死活問題でした。

 5月の半ば過ぎは前の年の秋にまいた麦などに穂がつく頃。

 無事に穂がつくと「今のところは順調だ。

 よかった、よかった」とひと安心(少し満足)したことが小満の由来のひとつだともされています。

 ところで、二十四節気には「小暑」に対する「大暑」があり、「小寒」に対する「大寒」があります。

 しかし「小満」の対になる「大満」はありません。

 小満が「ひと安心」なら、大満は「心配事が何もない満足しきった状態」とでもなるのでしょうか。

 自然は慈母のようなやさしい面を持つ一方で、暴君のような怖さも、情け容赦のない厳しさもあります。

 今よりずっと自然に寄り添って暮らしていた昔の人々は、自然の二面性を肌身でしっかり感じていたからこそ、暦に大満がないのかもしれないと勝手に想像してみました。

 話を現代に移しましょう。

 現代人の小満は「ひと安心の少し満足」ではなく「少々不満」になっているような気がします。

 今のところは順調でもそれだけでは満足できず、先の先まで順調であろうとしたり不安になったり。

 待つことを嫌い、結果を先に知りたがり、麦の穂が出るのは当たり前だと思って感謝を忘れてしまう。

 私たちは知らず知らずのうちに大満を追い求めてきたのではないでしょうか。

 これが仕事であれば日々、何の心配もなく十分満たされた「大満商売」は理想的かもしれません。

 けれど何事も陰陽、表裏一体だと思えば「ありがたい、ありがたい」とひと安心して感謝する「小満商売」でありたいと、薫風に吹かれながら思うのでした。

投稿者: 伯税務会計事務所

2018.04.15更新

 A氏がクリーニングに出したジャケットが破損して戻ってきたそうです。

 あらかじめ破損の可能性を知らされていたので仕方ないと納得したものの「こんなにひどいヒビ割れは今まで見たことがない」と受け付けの店員も驚くほどの状態なのに、取りに行くまで何の連絡もなかったことにA氏は違和感を覚えたそうです。

 A氏も会社を経営する立場。

 トラブルの対処は初動が肝心だと常々肝に銘じています。

 そこで、その店員に「こういう場合はどうされるのですか?」と聞いてみると「弁償はできませんがクリーニング代をお返しして、ご迷惑料として一律5000円をお支払いしています」とのこと。

 今まで見たこともないくらいひどい状態だと言いながら「一律」とは・・・。

 どんな会社なのか逆に興味がわいたA氏は「弁償は望みませんが、上の方から一度お電話いただけませんか」とお願いしてみました。

 その翌日、クリーニング店からの電話に出られなかったA氏がコールバックすると、電話口の人が明るく元気にこう言ったそうです。

 「あのクレーマーの方ですね!」。

 店員にまったく悪気がないのは分かりました。

 このクリーニング店では、店員同士が「クレーマー」という言葉を日常的に気軽に使っているのだろうと感じられたからです。

 裏では「お客」、表では「お客さま」。

 それと同じノリで「クレーマー」に「方」を付けて「クレーマーの方」というおかしな言葉を編み出したのだろうと想像し、A氏は怒るというより笑ってしまったそうです。

 そして同時に、これが自分の会社だったらと考えて背筋がゾッとしたのです。

 会社が築いてきた信頼や信用は、たった一人の、たった一言で、いとも簡単に失われてしまうことがあります。

 A氏は朝礼で「日頃の自分が仕事にも表れます。

 日常こそ自分を磨く場です」と話し、自分も襟を正したのでした。

 ところで、経営者にとって世にも怖い話の結末は、クリーング代の返金と、茶封筒からおもむろに取り出された迷惑料1万円。

 結局オーナーは登場せず、A氏は言われるままに1万円の領収書を書いたそうです。

投稿者: 伯税務会計事務所

2018.03.15更新

 知人の家の裏庭に、ときどき野良猫の親子がやって来るそうです。

 親猫はガリガリに痩せており、2匹の子猫はどちらも片目がつぶれていて、おそらく病気にかかっているとのこと。

 知人は子猫を病院に連れて行こうか迷ったそうですが、一時期でも親猫から引き離すことが良いことなのかどうか考えた末に、黙って見守ることにしました。

 雨の日には裏庭の物陰に3匹で寄り添い、晴れた日には陽当たりの良い場所でのんびり昼寝を楽しむ親猫の周りで、子猫たちがじゃれて遊び回っているとか。

 その様子を見て知人は思ったそうです。

 今の時代、野良猫として生きていくのも大変だろうに、親猫は親としての役目を淡々と果たし、子猫は明日のことなど知るよしもなく今に遊ぶ。どうやら小さな出来事に右往左往しているのは人間だけかもしれない・・・。

 ロシアの作家チェーホフは、44歳で亡くなる5カ月前に、かつての恋人リージャ・アヴィーロヴァに手紙を送りました。

 「ごきげんよう。なによりも、快活でいらっしゃるように。人生をあまり難しく考えてはいけません。おそらくほんとうはもっとずっと簡単なものなのでしょうから」。

 チェーホフが言うように、人生は自分で考えているよりもずっとシンプルなのかもしれません。

 そんなシンプルな人生をわざわざ複雑にしているのは、他でもない自分自身でしょう。

 商売で成功する秘訣(ひけつ)、幸せになる方法、ちまたにあふれる色々なノウハウは人生を豊かにする手助けのように見えて、実は自分を余計に惑わせる足かせになっている場合もあります。

 楽しい人生にしたければ、ノウハウを学ぶよりシンプルに生きればいいという、実に単純明快なメッセージをチェーホフは残してくれました。

 役に立ちたい。面白そうだ。やってみたい。

 純粋な動機で始めたことが、いつの間にか、おなか一杯なのに「おかわり!」と叫ぶようなことになっていませんか。何事も深刻になり過ぎるのはよくありません。

 おなかが空けば、ごはんはおいしい。至ってシンプルな原理ですね。

投稿者: 伯税務会計事務所

2018.02.15更新

 早春の頃、ほかの木に先駆けて白い花をこずえいっぱいに咲かせるこぶし。

 直径10cm程の大きな花は、新葉より早く開花します。

 「こぶし咲く、あの丘、北国の、ああ北国の春」。

 千昌夫さんの『北国の春』の歌詞で もおなじみの花です。

 東北地方では、こぶしの花が咲き出すともうすぐ春がやって来ます。

 寒い冬を乗り越えてきた北国の人々は、こぶしの花が咲く日を今か今かと待ち望んでいます。

 昔はこぶしの花の開花時期から農作業のタイミングを判断したり、花の向きから豊作かどうかを占ったりしたそうです。

 そのためこぶしは「田打ち桜」「田植え桜」「種まき桜」などとも呼ばれています。

 昔の人は季節の変化(自然現象)から農作業の時期を判断していました。

 植物がそれぞれの特性に適した季節に開花することを体験的に知っていたのでしょう。

 子孫を残すために不可欠な植物の知恵が、人間の生活の知恵にもなっていたのです。

 多くの植物がそれぞれ決まった時期に花を咲かせるのは、昼と夜の長さから季節を認識して反応する「光周性」という現象によるものだそうです。

 植物の光周性はきわめて繊細で、明るい時間と暗い時間の差が30分程度あれば敏感に反応するのだとか。

 夜間でも温室内に照明をつけて日長を調節すると植物は季節を勘違いします。

 季節外れの花や野菜が店頭に並ぶのは植物の光周性を利用した人間の知恵であり、見方を変えれば人間の欲でもあります。

 その昔、自然と人間は今よりも良い関係でした。

 私たちの祖先は自然を尊重し、敬意を払い、恵みに感謝しながら自然の知恵をお借りしていたのでしょう。

 春が近づけば自然とこぶしの花が咲くように、何事にもそれに相応しい時期があるものです。

 真夏にこぶしを咲かせようとすればしっぺ返しをくらうかもしれません。

 欲も行き過ぎれば商機を逸してしまいます。

 何事にも焦ることなく、知恵で商機を見出したいものですね。

投稿者: 伯税務会計事務所

2018.01.15更新

 ヒッチコック監督のサスペンス映画『知りすぎていた男』では、ドリス・デイの歌う『ケ・セラ・セラ』が物語のラストに向けた重要な糸口になっていました。

 「大きくなったらきれいになれる?お金持ちになれる?」そう尋ねる女の子にママや学校の先生は言います。

 「ケ・セラ・セラ、なるようになる」。

 大人になると恋人にも聞きます。

 「幸せな未来が待っているの?」。

 恋人の答えも「ケ・セラ・セラ」。

 彼女が子どもを授かると、今度は子どもが尋ねます。

 「私はきれいになれる?」。

 「ケ・セラ・セラ、先のことなんて分からない、なるようになるわ」。

 小気味よいストーリーも巧みですが『ケ・セラ・セラ』はそれ以上の印象を残して映画は幕を閉じます。

 「一休さん」の愛称で親しまれた一休和尚は遺言状を書いてこの世を去りましたが「大きな問題が起こるまで決して読むな」と言い残したそうです。

 弟子の僧侶たちは教えを守り、遺言状が開封されたのは一休和尚の死からしばらく経ってからのこと。

 大きな問題に直面していた僧侶たちがすがる思いで開いた遺言状には、こう書かれていたそうです。

 「なるようになる。心配するな」。

 とんち好きだった一休和尚らしい逸話です。

 「なるようになる」といえば、沖縄の方言の「なんくるないさぁ」が思い出されます。

 「なるようになる」とか「なんとかなる」という意味で知られていますが、沖縄の人に言わせると、生きていく辛さの中から生まれた深くて力強い言葉だそうです。

 ままならない世の中でも私たちは生きていかなくてはなりません。

 でも、誠実に真剣に生きていればきっとうまくいく。

 それを信じる気持ちが「なんくるないさぁ」なのでしょう。

 時代の変化のスピードは加速度を増し、商売のやり方も人の考え方も変わってきました。

 「今しかない」といいますが、本当になんとかできるのは、まさに「今の自分」のことだけでしょう。

 商売に正解はありません。

 うまくいかないときも「なるようになる」の精神で、今の自分にできることに集中したいものですね。

投稿者: 伯税務会計事務所

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