2017.08.15更新

 「成功」の反対は何でしょう。

 今では小学校でも使われるくらいよく知られた問い掛けです。

 成功の反対は「失敗」ではなく「何もしないこと」、または「チャレンジしないこと」ではないでしょうか。

 思うような結果が得られなかったとしても、それは成功の種まきだったというわけです。

 では「最良」の反対は何でしょう。

 辞書には「最良の反対は最悪」と書かれていますが、もちろん辞書的な意味を問い掛けているのではありません。

 「最良の反対は良である」と言ったのは、主に自費診療を提供している歯科医のK氏でした。

 保険という制度のある日本では、保険診療をしたほうがビジネスとしては楽かもしれません。

 けれど本当に必要な歯科医療を提供しようと思ったら、保険制度の中で無償の部分を増やすか自費にするかの難しい選択だそうです。

 K氏自身、以前は保険請求できない部分は修行だと思って辛抱し、患者の健康のためにそこそこ良い診療をしている自負はありました。

 「まあまあなことはしているから、この程度でも他の歯医者よりは良いことをしているはずだ」。

 そうやって自分を鼓舞する反面、常に頭から離れないのは「これはベストな診療なのだろうか」という迷いでした。

 そんな葛藤の日々の中でK氏が出会ったのが、先輩歯科医であるY氏の「最良の反対は良である」という言葉だったそうです。

 「そこそこ良い」は「ベストを尽くすこと」を妨げる。

 「まあまあ良いことをしているから」という思いでいると、その先の一歩、さらにもう一歩がなかなか出ない。

 Y氏の言葉にK氏は背中を押されたと言います。

 「そこそこやっているけれどベストではないことは分かっている。分かっていながらも現実に負けてきた自分と向き合うときが来たのかもしれない」と。

 誰もが上を目指す必要はありません。

 ただ、自分なりのベストを追い求める商売ができたら、きっと良い人生になるだろうなと想像します。

投稿者: 伯税務会計事務所

2017.07.15更新

 何らかの問題が起こるとき、原因のほとんどは「優先順位」にあるそうです。

 誰を、何を、どの状況を、どのタイミングを優先するかで経過が変わり当然、結果も変わります。

 思い出してみてください。

 人間関係のこじれも仕事上のミスも優先順位を間違えなければ避けられたものが多かったのではないでしょうか。

 経営はシミュレーションに始まりシミュレーションに終わるといわれますが、シミュレーションとは要するに優先順位の付け方です。

 優先順位の考え方として有名なエピソードがあります。ある大学の授業でのこと。

 教授が大きなつぼに石を詰め、つぼが石でいっぱいになると学生に聞きました。

 「このつぼはいっぱいになっただろうか?」。

 学生たちは「はい」と答えますが、教授は「本当に?」と言って砂利を取り出し、つぼの中に流し込んで石と石の間を埋めました。

 そして学生に尋ねます。「このつぼはいっぱいか?」「いいえ、違うと思います」。

 教授は次に砂を取り出してつぼに流し込み「このつぼはいっぱいか?」「いいえ」と同じやり取りを繰り返した後、さらに水の入ったバケツを取り出しました。

 つぼの縁まで水を注いだ教授は、学生に最後の問いを投げかけます。「私が何を言いたいか分かるだろうか?」。

 皆さんは教授の意図を理解できたでしょうか。

 どんなに予定がいっぱいでも努力すればもっと予定を詰められる。

 これは学生の答えと同じですが、教授の言わんとすることとは違います。

 教授いわく「大きな石を先に入れないと、あとから入れようとしても入らない」。

 つまり、物事には優先順位があると教授は言いたかったのです。

 「大きな石」とは自分の一番大事なもの。

 大きな石を最優先しないで砂や砂利から手を付けると、一番大事なものにかける時間がどんどん減ってしまいます。

 商売というつぼにあなたは何から入れますか。

 このつぼが人生そのものなら、あなたにとっての「大きな石」は何ですか。商売も人生も優先順位を意識すると、きっと質の良いものとなるでしょう。

投稿者: 伯税務会計事務所

2017.06.15更新

 武士で教育者だった吉田松陰は、多くの優秀な弟子を育てたことで知られる「人育て」の達人でした。

 その松蔭が人育ての極意としていたのは「他人の欠点を指摘せず、長所を伸ばす」でした。

 まさにその通りだと思いますが、実際には人の長所より欠点に目が行くほうが多いように思います。

 人の良いところを見付けてほめるより、欠点を指摘するほうがずっと簡単なのは「人の一寸我が一尺」だからでしょう。

 人の欠点はほんのわずかでも目に付くけれど、自分の欠点は大きなものでも気が付きにくい。

 これが「人の一寸我が一尺」です。

 世の中には他人の欠点を指摘することに意欲を発揮する人がいるようです。

 自分のことは棚に上げ、人の欠点を目ざとく見付けては指摘する人は「親切に教えてあげているのだから感謝してね」と思っているかもしれませんが、実はその態度が最大の欠点かもしれないことに本人は気付いていないようです。

 もし「これはどうしても言ってあげたほうがいい」と思うなら、相手を否定することなく心に届くように伝える技術が必要です。

 しかし、人の欠点を指摘するのは簡単でも、それを上手に伝えるのはとても難しいもので、だからこそ相手の欠点を上手に伝えられる人は信頼されて一目置かれるのでしょう。

 相手の気になる欠点が、裏を返せば自分の欠点だったという場合も少なくありません。

 自分が気にしているからこそ、相手が同じことをしたら気になって仕方ないのですが、お互いの欠けている部分を否定しあっていたら人間関係はあっという間に崩れ去ります。

 従業員、部下、取引先、顧客。商売はいろいろな人間関係が交差する立体交差点のようなもの。

 「人の一寸我が一尺」ではあっという間に事故が起こるでしょう。

 あなたの周囲の人たちもあなたの欠点を見逃してくれているはずです。

 世の中は、持ちつ持たれつ。

 できるだけ相手の良いところを見てお付き合いをしていくことは、相手のためというより自分の器を大きくするチャンスだと捉えたいものですね。

投稿者: 伯税務会計事務所

2017.05.15更新

 公園や駅前広場などで、ギター片手に歌っている若者を見かけることがあります。

 路上で自作の歌を弾き語りする人たちをストリートミュージシャンと呼ぶそうです。

 彼らは、うまい・下手を越えたところで聴衆を魅了しているように感じるのは若い情熱のせいでしょうか。

 夢を追いかけている人の姿はまぶしいものですね。

 これは、あるストリートミュージシャンの興味深い話です。

 彼が路上で歌い始めたばかりの頃は、足を止めてくれる人の気配さえなかったそうです。

 無名の素人だから当然のこと。

 彼はそう思っていたようですが、路上ライブを続けるうちにあることに気付いたのです。

 ここには看板もなければ椅子もない。

 もしかしたら僕の歌を聴きたいと思ってくれている人がいるかもしれないのに「ここでライブをやっています。

 ぜひ僕の歌を聴いてください」というサインを何も出していなかった。

 これでは立ち止まりづらいのは当たり前だと気付いた彼は「路上ライブやってます」の看板を出し、小さな椅子を置いたところ、すぐに足を止めてくれる人が現れ、その数が少しずつ増えていったようです。

 人に聴いてもらいたければ良い音楽をやることが大前提ですが、同時に「気兼ねなく聴ける」というお客さま目線の環境を整えることも大切だったのでしょう。

 良いものを作れば売れると思うのは傲慢(ごうまん)だと、ある経営者がインタビューに答えていました。

 良い商品だから、良いサービスだから、あとは「果報は寝て待て」の方程式が単純に成り立つなら商売はどんなに楽でしょう。

 しかしながら商売はそんなに甘くありません。

 世間には、間違いなく良いものなのに売れない商品やサービスが山ほどあります。

 どんなに良いものを作っても「それを売る努力をしないと売れませんよ」というわけです。

 「果報は寝て待て」もひとつの考え方だと思いますが、「果報は練って待て」という指南もあります。

 でる限りの努力と工夫をした上で静かに時機の来るのを待つ。

 そんな粋な商売をしていきたいものですね。

投稿者: 伯税務会計事務所

2017.04.15更新

 最後まであきらめるな――。

 これは成功者の決まり文句です。

 あきらめずにやり続ければ誰でも成功する。

 しかし、あきらめてしまったらそこで終わり。

 それまでの努力は水の泡。

 あきらめるのは弱い人間のすることだ。

 世間にはそんな風潮がありますが、本当に「あきらめる」ことは悪いことなのでしょうか。

 そもそも「あきらめる」には2つの漢字があります。

 一般的に「あきらめる」といえば「諦める」と書き、その意味は「希望や見込みがないと思って断念する」ですが、実は「諦める」の語源は「明らめる」だそうです。

 「明らめる」とは事情や理由を明らかにすること。

 つまり「諦める」は「明らかに極める」から来ているのです。

 まずは事実や理由をはっきり認識して(明らめる)、その上で状況に合っていなければ断念する(諦める)。

 この流れが本来の「あきらめる」という行動なのでしょう。

 「最後まで諦めるな」ではなく「最後まで明らめろ」であれば、まさしく成功の条件だろうと思います。

 うまくいかないことに固執するとおおむね失敗します。

 そこで諦めて次のチャレンジに目が向かないのは「明らめて」いないからでしょう。

 明らめるとは「受け入れる」ことでもあります。うまくいかない理由を冷静に分析して受け入れなければ、何度も同じことでつまずくのは自明の理。的確な判断は理由を分析して状況を把握することで成し得ます。

 どう考えても無理だと「明らめ」たら、すみやかに「諦める」。

 引き際は企業の存続を左右する非常に重要な判断です。

 明らめるには「心を明るく楽しくして気持ちを晴れやかにする」という意味もあります。

 壁にぶち当たったとき、その壁を乗り越えようとする自分を楽しめているかどうか。

 楽しめていないなら「明らめて」いないのかもしれません。諦めるのが悪いわけではなく、明らめずに諦める夢の途中の行動こそが、それまでの努力を水の泡にしてしまう「もったいない」行為だというわけでしょう。

投稿者: 伯税務会計事務所

2017.03.15更新

 半年間みっちり英語のプライベートレッスンを受けてから渡米した、ある人の実話です。

 到着3日目。

 「あんなに勉強したのにまったく英語が理解できない」という失意のどん底からスタートしたアメリカ生活も、渡米から2カ月後には英語での日常会話に困らない程度まで上達しました。

 日本での勉強がやっと実を結んだのかと思いきや、意外にも役に立っていたのは中学英語。渡米前の勉強がいかせるようになったのは半年が過ぎた頃からで、それでもやはり基本は中学の授業で習った英語だったそうです。

 「切羽詰まると基本学習の記憶がよみがえるもんだね。基本があってこその応用力だというのがよく分かったよ」。

 商売にも通じる示唆に富んだ話ではないでしょうか。

 ビジネスのノウハウが世の中にあふれている今、その気になればいくらでも勉強はできます。

 成功者の生の声を聞くこともできます。 

 しかし、それらを実践したからといってすぐに結果が出る人はまれでしょう。

 なぜなら他人の成功事例は自分にとって「応用」だからです。

 すでに成功している人には自分なりのノウハウを確立してきた過程があります。

 その過程は本人にとっての基本です。

 つまり、プロセスは「基本」でノウハウは「応用」。

 他人のノウハウを真似して目の前の問題を一時的に回避できたとしても、それは対処療法に過ぎません。

 基礎体力がないのに、いきなりフルマラソンにチャレンジするのが無謀なことは理解できても、商売では基本をないがしろにして応用に飛びついてしまうことに自分ではなかなか気付けないものです。

 商売の基本とは何か。それは「人となり」ではないでしょうか。

 商売が人と人との関わりで成り立つ以上、人間的な部分が仕事の成功を下支えしているのは確かです。

 日頃どんな心構えで仕事をしているか、どんな態度で顧客と接しているか。

 その基本を押さえて商売をしていれば、必要なときに応用が利いて結果が出る。

 自然の摂理とはそういうものなのではないでしょうか。

投稿者: 伯税務会計事務所

2017.02.15更新

 日本を代表する大物コメディアンKさんがまだ見習いだった頃のこと。

 演出家が「才能がないからやめた方がいい」とKさんを突き放したとき、「Kは才能がないけれど誰よりもいい返事をする。それだけで劇団に置いてやってくれ」とかばってくれた先輩がいたそうです。

 後日、Kさんを酷評した演出家が「この世界(芸能界)では、才能がなくてもたったひとり応援してくれる人がいたら必ず成功する」と言いました。

 要するにその演出家は、「こいつをやめさせないでくれ」と応援してくれる先輩がいるのだから頑張れとKさんにエールを送ったのです。

 「演技は努力しなくていい、性格を努力しろ」というのはKさんの言葉です。

 競争の激しい芸能界で生き残っていくには芸よりも先に性格や人格を磨け。

 成果や実力で勝負するのはまっとうなことだが、仕事の出来はそこそこでも、応援してくれる人がいて引き立ててもらえたら成果や実力はあとからついてくる。

 Kさんが自身の経験から得た学びには商売にも通じる大事な要素があるのではないでしょうか。

 才能や実力や実績があっても、人からの引き立てがあるかないかで商売の展開は大きく変わるでしょう。

 日頃から多くの人にかわいがってもらっている人が何か始めたと聞けば、誰もが自然と「あの人ならきっと成功するよ」と思うでしょうし、逆の場合は言うまでもありません。

 Kさんの言葉を借りれば「応援してもらえる性格」かどうかということです。

 よく「運が良い」とか「運が悪い」とかいいますが、実際は自分の性格に見合った出来事と巡り合っているだけではないでしょうか。

 「運」を「性格」に替えて考えてみると分かります。

 性格とはつまり考え方、行動、反応の仕方、態度の示し方、感情の持ち方のこと。今の自分は人から応援してもらえる考え方や行動をしているだろうか。

 人に引き立ててもらえる商売の在り方をしているだろうか。

 性格に良くないところがあるのなら「応援してもらえる性格」になるように努力すればいい。

 それが自分で自分の運を良くする方法なのではないでしょうか。

投稿者: 伯税務会計事務所

2017.01.15更新

 このお正月はぎっくり腰で寝たきりだったという知人に「新年早々、災難だったね」と声をかけたところ、「お正月で助かったよ。かえってゆっくり休めたしね」と笑顔を向けられました。

 気の毒だと思ったのはこちらの勝手な思い込みで、本人はぎっくり腰で動けない状況を前向きにとらえ、逆に楽しんでいたようです。

 考えてみればこの知人は、何か問題が起こったときにいつでも「かえってよかったよ」「逆に楽しいよ」「むしろ大歓迎だよ」と笑って事に当たっています。

 かたわらから垣間見える状況が決して楽そうではないときも、あからさまに大変さをかもし出したり不安がったりすることなく、そのときできることを黙々とやっている、そんな印象です。

 「いつもどんと構えているねぇ」そう感心すると、「失敗した経験の量が半端じゃないからね」と。

 たとえ成功者と同じことをしても、表面を真似しただけでは同じように成功できるとは限りません。

 成功した人のバックボーンには、成功に匹敵するだけの失敗の数々が隠れていることが容易に想像できるからです。

 判断ひとつにしても、わずかな経験でする判断と豊富な失敗に基づいた判断が同じはずはありません。

 シャネルの生みの親であるココ・シャネルの名言に「人生が分かるのは、逆境のときよ」があります。

 ウォルト・ディズニーも「逆境の中で咲く花は、どの花よりも貴重で美しい」と言いました。

 大成功を収めた彼らもやはり「逆境」という環境を前向きにとらえて果敢にチャレンジしていったのでしょう。

 お正月のテレビ番組で、いまどき珍しい凧上げの光景を見ました。

 凧は風に向かっていくからこそ高く上がります。風に流されていては上がっていけません。

 澄み渡った青空に高く高く舞い上がる凧を見ながら、逆境こそ人を強くさせる環境だと改めて思う新年でした。

 事の成るは逆境のとき。逆境を乗り越えた分だけ自分も商売も成長していくのでしょう。

投稿者: 伯税務会計事務所

2016.12.15更新

 年末年始は「待つ」ことが多くなりますね。

 忘新年会では席に座るまでに待たされ、道路は渋滞し、有名な神社で初詣をすれば寒い中で待つのは覚悟の上です。

 ところで「待つ」感覚は不思議だと思いませんか。

 電車が遅れると5分でも愚痴が出るのに、おいしいと評判のお店では喜んで行列に並びます。

 人間関係や個人的な感情も「待つ」時間を左右します。

 Aさんに待たされると腹が立つのにBさんなら気にならない。

 気分が良い日は長く待てるのに気分が乗らない日は1分の待ち時間さえ我慢できない。

 人それぞれ「待てる時間」と「待てない時間」があり、その境界線は本人にしか分かりません。

 しかし誰にでも共通しているのは「待たされている」と思えばイライラし、「進んで待っている」ときはウキウキと心が弾んで待ち時間も気にならないということです。

 鹿児島県の屋久島では樹齢がおよそ1000年を超える杉を屋久杉と呼ぶそうです。屋久杉は成長が遅いことで知られています。

 屋久島は花こう岩の島なので岩が邪魔をして地下に根を張れず、十分な養分を取れないので成長速度が遅いそうです。

 しかし成長が遅いため年輪が詰まっており、独特の木目や模様を生み出します。

 材質が緻密で長命なのも成長が遅いことの恩恵です。

 過酷な環境下でゆっくりと成長するからこそ個性が際立ち、丈夫で長く生き残れる。

 屋久島の杉が待つことをせずに成長を急いだら屋久杉は存在していないかもしれません。

 商売でも売り上げが伸びない、顧客が増えない、反応が悪いといった「待たされている感じ」はどうも居心地が良くありません。

 たとえ同じ状況でも、力の限りやったからあとは自分を信じて良い結果を思い描いて過ごす。

 ワクワクしながらベストを尽くして天命を待つことができたら何よりだと思いませんか。

 私たちはこれからもいろいろな局面で「待つ」ことに遭遇します。

 同じ「待つ」なら自分が磨かれるような待ち時間にしたいものですね。

 今年もお世話になりました。良いお年をお迎えください。

投稿者: 伯税務会計事務所

2016.11.15更新

 「分かりました」と言いながら、ちっとも分かっていない人。

 歌の文句のようですが、このような人はたくさんいます。

 商売をしていればよくお分かりでしょう。本人に悪気はありません。なぜならその場では分かったつもりでいるからです。

 ところが実際にはほとんど忘れてしまうので、結局また同じことを伝える羽目になります。

 本人に問題がある場合もありますが、「分かったつもり」は誰にでも起こることなのです。

 もちろん自分自身が「ちっとも分かっていない人」になっていることもあるでしょう。

 さて、次の問いは行動変化を起こすための研修で使う手法です。

 ●聞いたことは(  ) ●見たことは(  ) ●やったことは(  )

 (  )には「分かる/身に付く・覚えている・忘れる」のどれかが入ります。

 正解は、「聞いたことは忘れる」「見たことは覚えている」「やったことは分かる/身に付く」です。

 では、「(  )ことは使う」の(  )にはどんな言葉が入るでしょうか。「ふ(腑)に落ちる」の「腑」とは「心の底」のこと。

 口でいくら「分かりました」と言っても、心の底で納得しないとふに落ちないようです。

 それでは、心の底で納得するためにはどうしたらいいのか。その答えが「(  )ことは使う」につながります。

 「気付いたことは使う」もしくは「発見したことは使う」。

 要するに、自分で見付けたことは自ら行動に移すということです。

 自分で見付けたから忘れにくく、忘れないから使うという単純な原理ですが、そこには「自分で気付いた」という喜びがあることを見逃してはいけません。

 自分で答えを見付けた喜びが行動の第一歩になるのです。

 自分で考えなくてもすぐに答えが手に入る便利な時代ですが、それが行動に結びついていなければ、その答えにあなたは納得していないのかもしれません。

 まずは自分自身や目の前の商売を振り返ってみてください。あなたはその答えに心の底で納得していますか?

投稿者: 伯税務会計事務所

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