2017.12.15更新

 ある人から次のような話を聞きました。

 小学4年生のK子ちゃんは「私の夢はイルカの調教師」という作文を書いたそうです。

 けれど書き終えた後「夢って本当にかなうものなのかな?どうしたら夢がかなうのかな?」という不安と疑問を持った彼女は、夏休みの自由研究のテーマを「夢は本当にかなうのかな?」に決めたそうです。

 夢について書かれた本を読んだり、夢をかなえた有名人をインターネットで調べたりしました。

 また「夢はかないましたか?」というアンケートを自分で作っていろいろな職業の人に書いてもらったり、直接話を聞いたりして自由研究をまとめたそうです。

 ノーベル賞を受賞した山中伸弥教授の本を読んで「どんどん試して失敗することが大切です」という言葉に勇気をもらったK子ちゃんは、京都大学iPS細胞研究所を訪ね、国際広報室の人にも話を聞いたようです。

 果たしてK子ちゃんの結論はどうだったのでしょう。

 「夢はかなう。けれど夢はかなえるもの」これがK子ちゃんの研究成果でした。

 夢をかなえるために必要なのは準備や行動だけでなく、まずは楽しむこと。

 好きなことにアンテナを張って毎日を生き生き過ごすこと。

 やりたいことが見付かったら日付を決めて「夢」を「目標」に変え、その目標に向かって努力すること。

 失敗も大事な経験だから挑戦すること。

 さらには福澤諭吉の『学問のすゝめ』から「学問に入らば大いに学問すべし。農たらば大農となれ、商たらば大商となれ」という一文を引いて「どうせやるならとことんやろう。

 こうして夢はかなうのです」とまとめています。

 K子ちゃんのアンケートには「夢をかなえるために必要なことをひとつ教えてください」という質問があるそうです。

 あなたなら何と答えるでしょう。

 「81%以上の人が夢がかなっています。これはキラキラした明るい事実です」というK子ちゃんの言葉に背中を押されるのは、むしろ大人たちかもしれませんね。

 子どもたちに「夢はかなうよ」と言える大人でありたいと思った年の瀬です。

投稿者: 伯税務会計事務所

2017.11.15更新

 会社というのは与えられた仕事を単にこなす場所ではなく、その人の夢や信念を果たす場所なのです――。

 ザ・リッツ・カールトン・ホテルの創業に参画したホルスト・シュルツ氏の言葉です。

 信念は成功に欠かせない要素だと昔からよくいわれます。

 経営者セミナーに参加したS氏もその場で信念の重要性をたたきこまれ帰宅後、すぐ毛筆で「ぶれない信念」と書いて壁に貼り、毎朝毎晩「ぶれない信念」と胸に刻んでいたそうです。

 しばらくして同窓会に参加したS氏は、懐かしいクラスメイトたちに「やっぱりね、商売は信念が大事なんだよ」と熱く語っていたところ、その中の一人からこんな質問を受けたそうです。

 「ところで、お前の信念って何?」「おっ、いい質問だね」張り切って答えようとしたS氏ですが、なぜか言葉が続きません。

 そのとき初めて気が付きました。肝心の信念が・・・ない!「ぶれない信念」のインパク トが強烈だったのか、「ぶれない信念」という言葉自体が信念になってしまい、肝心要の信念の中身がカラッポだったのです。

 こういう人いるいる!と言いたいところですが、実は誰にでもよくあることなのです。

 朝礼で「今は大変な時期ですが、この状況から決して逃げ出さず、信念を持って努力を続ければ必ず道は開けると信じています」と社員を鼓舞する社長。

 わが社の信念、自分の信念、ちゃんと理解して話しているでしょうか。その信念を社員と共有できていますか。

 「よし頑張るぞ!」「何を?」「何だっけ?」みたいなことになっていないでしょうか。

 元リコー会長の桜井正光氏もかつて「トップが何事かを決断する場合、情熱と信念を持って自分の考えを説かなければ人はついてこない」とおっしゃいました。

 欧州でのビジネス経験が長かった桜井氏は「環境への配慮は企業の競争力強化につながる」との信念を持つようになり、その信念のもとで環境経営を加速したそうです。

 「ぶれない信念」が信念になっていないか今一度、自分と向き合ってみたいですね。

投稿者: 伯税務会計事務所

2017.10.15更新

 人生においてたった一度しかないチャンス。いったい何だと思いますか?

 それは「第一印象」です。

 その人との初対面はたった一度だけ。「第一印象」に二度目はありません。

 それなのに、たった一度の第一印象を意識している人は意外と少ないようです。

 商売でたくさんの人に出会うあなたはどうでしょう。

 第一印象とは人や物に接したとき、最初に受ける感じのこと。いわゆる「パッと見」です。

 その時間は15秒だとか10秒以内だとかいろいろいわれていますが、たった2秒という意見もあります。

 以前ベストセラーになった『第1感』の著者マルコム・グラッドウェル氏によれば「何かへの評価は2秒で決まる」のだとか。

 最初の2秒で感じる「なんとなく」を「第1感」と名付け、「(第1感で)状況や人物を瞬時に判断した」場合も、「半年以上の時間をかけて判断した」場合も、そのものへの評価はほとんど変わらないと分析しています。

 私たちは平均で3秒に1回まばたきをしているそうですが、2秒というのはまばたき1回分にも満たない一瞬。

 初対面で「はじめまして」とあいさつを交わすまでもなく、私たちは瞬時になんとなく相手を評価して、同時に自分も評価されているのです。

 しかもその評価はけっこう的確なので、第一印象が悪かったから時間をかけて自分を分かってもらおうと努力しても、修復できる確率は低いというわけです。

 人には実にさまざまな面があり、それらをひっくるめたものがその人なりの味わいとなります。

 しかし自分の人となりを見てもらう前に、出会いがしらの2秒で与える印象は思っている以上にインパクトが強いことを覚えておきたいものです。

 服装や立ち居振る舞い、話し方や声のトーンなど第一印象を良くするための演出はいくらでもありますが、結局は「普段の自分」がにじみ出てしまうものですし「普段」は隠せません。

 だったら普段からカッコ良く。カッコつけるのではなくて、自意識よりも美意識を大事にしていきたいものですね。

投稿者: 伯税務会計事務所

2017.09.15更新

 商売の極意を尋ねられて「聞くこと」と答えたのは、ベテラン経営者のT氏です。

 極意のきっかけは、その昔、夫婦で泊まった温泉宿とのこと。

 その宿は人里離れた場所に一軒だけぽつんとある民家のような旅館で、予約の電話をしたときに部屋にテレビがないと聞かされたときは「夫婦二人で間が持つだろうか」と心配になったそうです。

 ところが行ってみればなんてことはなく、遠くから聞こえるホトトギスの声、山里を吹き抜ける風の音、その風が木々を揺らせばサワサワと葉音が鳴り、夜は夜で耳を澄ませば「静けさ」という音が聞こえてくるようで、今までにないくらい心休まるひとときだったといいます。

 何よりの発見は「奥さんの声」だったそうです。

 普段はテレビに奪われていた耳を奥さんに向けたことで「この人はこんな声だったのか」と改めてしみじみしたのだとか。

 そのせいか、いつもなら何となく聞き流す奥さんの話を、その夜は耳を傾ける気持ちで聞いたそうです。

 「そしたら不思議なんだけど奥さんの表情がやわらかくなって。そうなるとこっちも笑顔になるから自然と会話が弾んでね。翌朝には恥ずかしながら手をつないで朝の散歩を楽しんだよ」。

 散歩の途中、いつもより優しい声で話している自分に気付いたT氏は、いつもより晴れやかな笑顔を向ける奥さんを見て思ったそうです。

 自分は今までどんな態度でお客さまの話を聞いてきただろう。

 どんな風にお客さまに話し掛けてきただろう――。

 詩人の山崎佳代子氏はかつて、講演でこんな話をされました。

 「声は人の魂を結びつける。声を出すときはみんなに届くように出し、声を聴くときは心を込めて聴く。この二つが欠けると社会はほころびる」。

 伝えたいことがお客さまに届くように話し、心を込めてお客さまの話に耳を傾ける。

 この二つが欠けると商売もほころびてくるかもしれません。

 話したり聞いたりは毎日のことです。

 どんな態度で、どんな心持ちで行うか、それが大事なのではないでしょうか。

投稿者: 伯税務会計事務所

2017.08.15更新

 「成功」の反対は何でしょう。

 今では小学校でも使われるくらいよく知られた問い掛けです。

 成功の反対は「失敗」ではなく「何もしないこと」、または「チャレンジしないこと」ではないでしょうか。

 思うような結果が得られなかったとしても、それは成功の種まきだったというわけです。

 では「最良」の反対は何でしょう。

 辞書には「最良の反対は最悪」と書かれていますが、もちろん辞書的な意味を問い掛けているのではありません。

 「最良の反対は良である」と言ったのは、主に自費診療を提供している歯科医のK氏でした。

 保険という制度のある日本では、保険診療をしたほうがビジネスとしては楽かもしれません。

 けれど本当に必要な歯科医療を提供しようと思ったら、保険制度の中で無償の部分を増やすか自費にするかの難しい選択だそうです。

 K氏自身、以前は保険請求できない部分は修行だと思って辛抱し、患者の健康のためにそこそこ良い診療をしている自負はありました。

 「まあまあなことはしているから、この程度でも他の歯医者よりは良いことをしているはずだ」。

 そうやって自分を鼓舞する反面、常に頭から離れないのは「これはベストな診療なのだろうか」という迷いでした。

 そんな葛藤の日々の中でK氏が出会ったのが、先輩歯科医であるY氏の「最良の反対は良である」という言葉だったそうです。

 「そこそこ良い」は「ベストを尽くすこと」を妨げる。

 「まあまあ良いことをしているから」という思いでいると、その先の一歩、さらにもう一歩がなかなか出ない。

 Y氏の言葉にK氏は背中を押されたと言います。

 「そこそこやっているけれどベストではないことは分かっている。分かっていながらも現実に負けてきた自分と向き合うときが来たのかもしれない」と。

 誰もが上を目指す必要はありません。

 ただ、自分なりのベストを追い求める商売ができたら、きっと良い人生になるだろうなと想像します。

投稿者: 伯税務会計事務所

2017.07.15更新

 何らかの問題が起こるとき、原因のほとんどは「優先順位」にあるそうです。

 誰を、何を、どの状況を、どのタイミングを優先するかで経過が変わり当然、結果も変わります。

 思い出してみてください。

 人間関係のこじれも仕事上のミスも優先順位を間違えなければ避けられたものが多かったのではないでしょうか。

 経営はシミュレーションに始まりシミュレーションに終わるといわれますが、シミュレーションとは要するに優先順位の付け方です。

 優先順位の考え方として有名なエピソードがあります。ある大学の授業でのこと。

 教授が大きなつぼに石を詰め、つぼが石でいっぱいになると学生に聞きました。

 「このつぼはいっぱいになっただろうか?」。

 学生たちは「はい」と答えますが、教授は「本当に?」と言って砂利を取り出し、つぼの中に流し込んで石と石の間を埋めました。

 そして学生に尋ねます。「このつぼはいっぱいか?」「いいえ、違うと思います」。

 教授は次に砂を取り出してつぼに流し込み「このつぼはいっぱいか?」「いいえ」と同じやり取りを繰り返した後、さらに水の入ったバケツを取り出しました。

 つぼの縁まで水を注いだ教授は、学生に最後の問いを投げかけます。「私が何を言いたいか分かるだろうか?」。

 皆さんは教授の意図を理解できたでしょうか。

 どんなに予定がいっぱいでも努力すればもっと予定を詰められる。

 これは学生の答えと同じですが、教授の言わんとすることとは違います。

 教授いわく「大きな石を先に入れないと、あとから入れようとしても入らない」。

 つまり、物事には優先順位があると教授は言いたかったのです。

 「大きな石」とは自分の一番大事なもの。

 大きな石を最優先しないで砂や砂利から手を付けると、一番大事なものにかける時間がどんどん減ってしまいます。

 商売というつぼにあなたは何から入れますか。

 このつぼが人生そのものなら、あなたにとっての「大きな石」は何ですか。商売も人生も優先順位を意識すると、きっと質の良いものとなるでしょう。

投稿者: 伯税務会計事務所

2017.06.15更新

 武士で教育者だった吉田松陰は、多くの優秀な弟子を育てたことで知られる「人育て」の達人でした。

 その松蔭が人育ての極意としていたのは「他人の欠点を指摘せず、長所を伸ばす」でした。

 まさにその通りだと思いますが、実際には人の長所より欠点に目が行くほうが多いように思います。

 人の良いところを見付けてほめるより、欠点を指摘するほうがずっと簡単なのは「人の一寸我が一尺」だからでしょう。

 人の欠点はほんのわずかでも目に付くけれど、自分の欠点は大きなものでも気が付きにくい。

 これが「人の一寸我が一尺」です。

 世の中には他人の欠点を指摘することに意欲を発揮する人がいるようです。

 自分のことは棚に上げ、人の欠点を目ざとく見付けては指摘する人は「親切に教えてあげているのだから感謝してね」と思っているかもしれませんが、実はその態度が最大の欠点かもしれないことに本人は気付いていないようです。

 もし「これはどうしても言ってあげたほうがいい」と思うなら、相手を否定することなく心に届くように伝える技術が必要です。

 しかし、人の欠点を指摘するのは簡単でも、それを上手に伝えるのはとても難しいもので、だからこそ相手の欠点を上手に伝えられる人は信頼されて一目置かれるのでしょう。

 相手の気になる欠点が、裏を返せば自分の欠点だったという場合も少なくありません。

 自分が気にしているからこそ、相手が同じことをしたら気になって仕方ないのですが、お互いの欠けている部分を否定しあっていたら人間関係はあっという間に崩れ去ります。

 従業員、部下、取引先、顧客。商売はいろいろな人間関係が交差する立体交差点のようなもの。

 「人の一寸我が一尺」ではあっという間に事故が起こるでしょう。

 あなたの周囲の人たちもあなたの欠点を見逃してくれているはずです。

 世の中は、持ちつ持たれつ。

 できるだけ相手の良いところを見てお付き合いをしていくことは、相手のためというより自分の器を大きくするチャンスだと捉えたいものですね。

投稿者: 伯税務会計事務所

2017.05.15更新

 公園や駅前広場などで、ギター片手に歌っている若者を見かけることがあります。

 路上で自作の歌を弾き語りする人たちをストリートミュージシャンと呼ぶそうです。

 彼らは、うまい・下手を越えたところで聴衆を魅了しているように感じるのは若い情熱のせいでしょうか。

 夢を追いかけている人の姿はまぶしいものですね。

 これは、あるストリートミュージシャンの興味深い話です。

 彼が路上で歌い始めたばかりの頃は、足を止めてくれる人の気配さえなかったそうです。

 無名の素人だから当然のこと。

 彼はそう思っていたようですが、路上ライブを続けるうちにあることに気付いたのです。

 ここには看板もなければ椅子もない。

 もしかしたら僕の歌を聴きたいと思ってくれている人がいるかもしれないのに「ここでライブをやっています。

 ぜひ僕の歌を聴いてください」というサインを何も出していなかった。

 これでは立ち止まりづらいのは当たり前だと気付いた彼は「路上ライブやってます」の看板を出し、小さな椅子を置いたところ、すぐに足を止めてくれる人が現れ、その数が少しずつ増えていったようです。

 人に聴いてもらいたければ良い音楽をやることが大前提ですが、同時に「気兼ねなく聴ける」というお客さま目線の環境を整えることも大切だったのでしょう。

 良いものを作れば売れると思うのは傲慢(ごうまん)だと、ある経営者がインタビューに答えていました。

 良い商品だから、良いサービスだから、あとは「果報は寝て待て」の方程式が単純に成り立つなら商売はどんなに楽でしょう。

 しかしながら商売はそんなに甘くありません。

 世間には、間違いなく良いものなのに売れない商品やサービスが山ほどあります。

 どんなに良いものを作っても「それを売る努力をしないと売れませんよ」というわけです。

 「果報は寝て待て」もひとつの考え方だと思いますが、「果報は練って待て」という指南もあります。

 でる限りの努力と工夫をした上で静かに時機の来るのを待つ。

 そんな粋な商売をしていきたいものですね。

投稿者: 伯税務会計事務所

2017.04.15更新

 最後まであきらめるな――。

 これは成功者の決まり文句です。

 あきらめずにやり続ければ誰でも成功する。

 しかし、あきらめてしまったらそこで終わり。

 それまでの努力は水の泡。

 あきらめるのは弱い人間のすることだ。

 世間にはそんな風潮がありますが、本当に「あきらめる」ことは悪いことなのでしょうか。

 そもそも「あきらめる」には2つの漢字があります。

 一般的に「あきらめる」といえば「諦める」と書き、その意味は「希望や見込みがないと思って断念する」ですが、実は「諦める」の語源は「明らめる」だそうです。

 「明らめる」とは事情や理由を明らかにすること。

 つまり「諦める」は「明らかに極める」から来ているのです。

 まずは事実や理由をはっきり認識して(明らめる)、その上で状況に合っていなければ断念する(諦める)。

 この流れが本来の「あきらめる」という行動なのでしょう。

 「最後まで諦めるな」ではなく「最後まで明らめろ」であれば、まさしく成功の条件だろうと思います。

 うまくいかないことに固執するとおおむね失敗します。

 そこで諦めて次のチャレンジに目が向かないのは「明らめて」いないからでしょう。

 明らめるとは「受け入れる」ことでもあります。うまくいかない理由を冷静に分析して受け入れなければ、何度も同じことでつまずくのは自明の理。的確な判断は理由を分析して状況を把握することで成し得ます。

 どう考えても無理だと「明らめ」たら、すみやかに「諦める」。

 引き際は企業の存続を左右する非常に重要な判断です。

 明らめるには「心を明るく楽しくして気持ちを晴れやかにする」という意味もあります。

 壁にぶち当たったとき、その壁を乗り越えようとする自分を楽しめているかどうか。

 楽しめていないなら「明らめて」いないのかもしれません。諦めるのが悪いわけではなく、明らめずに諦める夢の途中の行動こそが、それまでの努力を水の泡にしてしまう「もったいない」行為だというわけでしょう。

投稿者: 伯税務会計事務所

2017.03.15更新

 半年間みっちり英語のプライベートレッスンを受けてから渡米した、ある人の実話です。

 到着3日目。

 「あんなに勉強したのにまったく英語が理解できない」という失意のどん底からスタートしたアメリカ生活も、渡米から2カ月後には英語での日常会話に困らない程度まで上達しました。

 日本での勉強がやっと実を結んだのかと思いきや、意外にも役に立っていたのは中学英語。渡米前の勉強がいかせるようになったのは半年が過ぎた頃からで、それでもやはり基本は中学の授業で習った英語だったそうです。

 「切羽詰まると基本学習の記憶がよみがえるもんだね。基本があってこその応用力だというのがよく分かったよ」。

 商売にも通じる示唆に富んだ話ではないでしょうか。

 ビジネスのノウハウが世の中にあふれている今、その気になればいくらでも勉強はできます。

 成功者の生の声を聞くこともできます。 

 しかし、それらを実践したからといってすぐに結果が出る人はまれでしょう。

 なぜなら他人の成功事例は自分にとって「応用」だからです。

 すでに成功している人には自分なりのノウハウを確立してきた過程があります。

 その過程は本人にとっての基本です。

 つまり、プロセスは「基本」でノウハウは「応用」。

 他人のノウハウを真似して目の前の問題を一時的に回避できたとしても、それは対処療法に過ぎません。

 基礎体力がないのに、いきなりフルマラソンにチャレンジするのが無謀なことは理解できても、商売では基本をないがしろにして応用に飛びついてしまうことに自分ではなかなか気付けないものです。

 商売の基本とは何か。それは「人となり」ではないでしょうか。

 商売が人と人との関わりで成り立つ以上、人間的な部分が仕事の成功を下支えしているのは確かです。

 日頃どんな心構えで仕事をしているか、どんな態度で顧客と接しているか。

 その基本を押さえて商売をしていれば、必要なときに応用が利いて結果が出る。

 自然の摂理とはそういうものなのではないでしょうか。

投稿者: 伯税務会計事務所

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